イジハピ!

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【第1153回】【演劇】DangerousBox『晩餐狂想燭祭~死~』を見た!

2018年4月14日土曜日、浅草六区ゆめまち劇場で行われた、劇団DangerousBoxの芝居を見に行った。
昼夜ダブルキャストの2回公演を見た。
題名は「晩餐狂想燭祭~死~」(ばんさんきょうそうしょくさい~し~)である。
長いし難しいしヤンキーっぽい!
でも内容はものすごく良かった。



この演劇は、バー「月光密造舎」で知り合った大友沙季さん、叶江 透さん、八木 岳さんが出ている縁で見に行った。
知り合いが3人も出ている芝居は珍しい。
ていうか、総出演者が100人の芝居である。
ひゃ、百人って君!
出演者の方も「まだ、全員揃っての通し稽古が出来ないんですよ」「最終的にどうなるか、まだ予想がつかないです」などと言っていた。
でも見終わってみれば、100人ピシリと舞台にカッコ良く収まっていたし、逆に100人出ないと、あんな迫力は出なかっただろうし、100人いる必然性を感じた。

明治時代の遊郭の話である。
何十人もいるのは、華やかな花魁(話をするだけの処女の花魁もいる)たちである。
そして、黒い着物を着た、長年の花魁暮らしで梅毒に掛かり、隔離されて娼館を終の棲家にする元花魁たちもいる。
こちらも、黒い衣装の隅々に細かい細工が施されていて美しかった。

ゆめまち劇場は、それなりに広い劇場で、真ん中の大きな花道を3方から客が取り囲む感じでとても見やすかった。
客席で飲食もできる。
また、最初に配られた模造紙幣の「おひねり」を、客がショータイムに花魁の胸元に入れたりするパフォーマンスもあって、客席も含めた劇場全体が娼館という趣向である。

びっくりしたのが和風生バンドで、三味線、琴、笙、太鼓が和風ロックを演奏していた。
ダンスもすごくて、舞台の隅にポールダンスが2箇所と、エアリアルが2箇所ある。
エアリアルって言葉、ぼくは知らなかったが、心底びっくりした。
天井に50センチ四方の四角い穴が空いて(ちょうど1個の穴がぼくの真上にあった)そこから白い布がするするっと降りてくる。
そして、半裸の女性ダンサーが、その布に絡みついて降りてきて、ブランブランしながら踊るのである。

夢みたいだ!
楽しい!
男優さんたちの剣舞もすばらしかった。

遊郭は現在でいう風俗という機能の他に歌舞音曲を披露する演芸場でもあったので(まさに浅草にも花街はあった)音楽やダンスを楽しむのも演劇のうちなのである。
お酒を飲みながら舞台を見ていると、虚構空間全体に飲み込まれるような、限りなくバーチャルなタイムスリップのような感覚に包まれる。
よく「舞台の世界に飲み込まれる」、「物語の世界にタイムスリップする」というような言い方がされ、ぼくも何回か書いてきたような気がするが、こんなにリアルに劇空間に飲み込まれる舞台は珍しい。

演劇の内容は遊女と金持ち、そして庶民の悲しい恋愛模様を描いた世話物だが、演劇の言葉がものすごく変わっていた。
うまく再現できないと想うが、たとえば「あなたが・すごく・好きだ」という文章があったとして、「あなたが」、「すごく」、「好きだ」という3つのフラグメンツに分割して、広い舞台のぜんぜん違うところにいる役者さんが言葉を継いでいくのである。
「あなたが」、「すごく」、「好きだ」という文章の断片が、観客を取り巻く空間をぴゅんぴゅん移動するのである。
いわば集団ポエトリー・リーディングだ。
これもすごい。
ポールダンスやエアリアル、剣舞と同じぐらい、セリフを言うことが言葉のアクロバットのようである。
観劇というより、演劇空間体験だ。
劇場を生きているという実感が湧いてくる、そんな舞台だった。

【第1152回】【映画】「ゲット・アウト」を酷評する

去年(2017年)から社会派の映画、それも、女性や黒人、マイノリティや社会的弱者の権利を主張する洋画をたくさん見た。具体的には、
 *NASAで働く女性の人間コンピューター(計算係)が地位向上を目指す「ドリーム(原題 Hidden Figures)」
 *ユダヤ人の歴史学者が修正主義者と戦う「否定と肯定(原題 Denial)」
 *アメリカの黒人暴動を警察がより苛烈な暴力で取り締まる「デトロイト」
 *アメリカの田舎のおばさんが警察に抗議する「スリー・ビルボード(原題 Three Billboards OUTSIDE Ebbing, MISSOURI)」
 *黒人差別をテーマにしたホラー「ゲットアウト」
 *政権政党の犯罪を新聞が告発する「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(原題 The Post)」
だ。

20180630get_out

映画としてのデキは「スリー・ビルボード」がダントツで、素晴らしい。
抑圧者にも弱さという動機があり、被抑圧者にも視野狭窄という反省すべき点がある。そして、対立が起こると街には禍々しい魔がいついてしまう、という、単に正義を訴え悪を叩くだけの映画ではなく、社会問題への視線を人間の心の奥底の問題に深めていて、深みがある映画なのにストレートで分かりやすいのが良かった。

スッキリ感動して、俺もガンバルゾーという勇気が出るのは「Hidden Figures」である。だれかに一本、面白いスカッとする映画を教えてよということになると、これになるだろう。

「Denial」と「デトロイト」はイマイチ感動のしどころが分からなかった。歴史的背景を知らないと分からないのだろう。特にデトロイトは見るのがツラい映画だった。

「Denial」は歴史修正主義者、いわゆるトンデモさんが巨悪として出てくる映画で、これは珍しい。巨大資本が動く映画は「科学万能主義」を叩き、トンデモさんにおもねる映画が多いような気がするが、見る側のリテラシーの向上に合わせて映画も変わってきてるのだろうか。

さて、「ゲットアウト」であるが、この映画はぼくにとって相当しょうもない、見ないほうが良かった映画であった。

以下ネタバレを隠す。









ここから完全にネタバレする。

この映画は、黒人の強靭で美しい肉体に偏愛した白人の部落の人々が、黒人の肉体を「脳移植で」手に入れるために、友好を装って黒人を拉致していくという筋立ての、こうまとめてしまえば分かる通りいまどき珍しいB級C級ホラーである。

これに、上に紹介した他の映画のような、多様性を求める人々と旧弊な抑圧社会の戦い、という「社会的な」テーマをまぶしている。
「デトロイト」という映画は、こっちに比べると大層まじめな映画であるが、後半がほとんど黒人に対する白人の執拗な拷問であって、「白人を悪魔化し、黒人を一方的な弱い被害者に置いたホラー、これでは社会問題は解決しない」という酷評があったそうだ。
なぜこの同じ批評が「ゲットアウト」に適用されないのか分からない。(ぼくがそういう批評を見てないからかもしれないが。)

ラストは黒人がなんとか悪い白人を殺して逃げようとするが、そこにパトカーがやってくる。
ああこれで黒人が捕まって終わりか、というバッドエンドを予想したのだが、そこに親友の別の黒人が乗っていてメデタシメデタシ、という取ってつけたような内容だった。
じっさい、もともとはバッドエンドだったのだが「救いがないのは良くない」みたいな話で差し替え、バッドエンドはDVD特典に入っているそうだ。

この映画がアカデミー脚本賞を取っているのにたいそうびっくりした。
どうも、「多様化が流行っているらしい」「昔みたいに単純に白人男性がヒーローでは通らないらしい」ということになって、まずショーバイとして「社会の多様化」ありきで、従来は金髪の白人女性がキャーキャー言っていたホラーやサスペンス、お涙頂戴ものなどが、社会的弱者を主役に置き換えられて、工業的に再生産されているのではないか。
で、そういう映画を、社会問題がまぶされているから批判できず、むしろ褒めなきゃいけない、という話ではないか。
だとしたら、どうにもイヤな風潮だ。



↓↓↓黒人と社会の相克を描く映画としてはこっちが断然オススメ!↓↓↓

【第1151回】【演劇】偏執狂短編集Paranoia Papers IVが超楽しみ!

演劇、それも都内の小劇場で演じられるアングラ演劇を見るのが、ここ数年の楽しみである。
このブログにも劇評のようなものをチョコチョコ書いている。



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