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映画

【第1155回】【映画】いま、日本人が見るべき映画=ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書

5月12日には、映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を見てきた。
大変感銘を受けた。

Washington Post2

邦題がペーパーズ、と複数形になっているので、「スリー・ビルボード」(原題はThe three billboards outside Ebbing, Misouli)を思い出して、ほぉー、と思った。
原題は「The Post」で、ワシントン・ポスト紙のことだ。
これは原題を生かして「ポスト」だとわかりにくいし、「ザ・ワシントン・ポスト」だと宣伝映画みたいである。
しかし「/最高機密文書」というのは必要だったのか。
ダサい。
安物のスパイ映画みたいだ。

「ペンタゴン・ペーパーズ」は、アメリカの大統領とメディアが最も緊張していたニクソン政権時代の新聞を描いた映画作品だ。
「大統領の陰謀」と良く似ている。
史実としては「ペンタゴン…」は「大統領…」の前日譚に当たる。

当時も今も、アメリカの政権を最も叩いた新聞はニューヨーク・タイムスであるが、「大統領の陰謀」も「ペンタゴン・ペーパーズ」も地方紙ワシントン・ポストを中心に描いているのが面白い。
ニューヨーク・タイムズをアメリカの朝日新聞とすると、ワシントン・ポストは東京新聞という感じだろうか。

「ペンタゴン・ペーパーズ」に関する記事は、特にタイムスの特ダネをポストが後追いした形で、史実上ははっきりタイムスの手柄である。

にもかかわらずこの映画や原作小説がポストを中心に描いたのは、45歳の専業主婦から運命のいたずらでポストの社主になってしまったキャサリン(ケイ)・グラハムの権力と男性社会との葛藤も同時に描いているからだ。
このケイを演じるのがメリル・ストリープ。

映画に出てくる、男性社会と葛藤する女性というと、勝ち気で威圧的にしゃべりまくるイメージで、ストリープはそういう役も演じているが、この映画ではなんともふんわりした、頼りのない、慈母のように優しい初老の女性のイメージで、これは史実に従ったと思しいが、ストリープの演技が実にうまい。この人、大丈夫か? と思わせるところが実に名演技。

それにしても、戦争、隠されていた書類、メディアを饗応するメディア、書類の改竄、リーク、圧力と、どっかの日本国を風刺したような映画だった。

監督はスピルバーグで、なんでこんな人が動かない、社会的な映画を…と思った。
じっさい、彼は企画には賛同したが自分で撮るつもりはなかったが、動きかけたプロジェクトが3年以上掛かると聞いて、「この映画を撮るのは(トランプが政権についた)今しかない」ということでメガホンを買って出、早撮りで知られる彼にしても超特急の9ヶ月で撮り上げたそうだ。

ほとんどセリフで語られる物語だが、細かくカットが割られ、カメラが動き、新聞人たちの肉体がアクション映画として撮られる。
圧巻なのが最後、新聞が刷り上げられる場面で、タイプライター、エアーシューター、活字、溶ける鉛、輪転機と言った70年台の印刷所の風景がダイナミックに撮られている。

ポストが上場するためにケイがニューヨーク証券取引場に向かうと、会議室の前でおびただしい女性たちが群れなして立っている。
秘書たちだ。
そして会議室に入ると全員男。
この場面が印象に残った。

最後に、書類をリークしたシンクタンクの職員ダニエル・エルスバーグの肉声が引用される。
「ジョンソン大統領に『反逆者』呼ばわりされたときは驚いた。たった一人の指導者に反対したら反逆者になるとしたら、彼は『朕は国家なり』と考えていることになる」






【第1152回】【映画】「ゲット・アウト」を酷評する

去年(2017年)から社会派の映画、それも、女性や黒人、マイノリティや社会的弱者の権利を主張する洋画をたくさん見た。具体的には、
 *NASAで働く女性の人間コンピューター(計算係)が地位向上を目指す「ドリーム(原題 Hidden Figures)」
 *ユダヤ人の歴史学者が修正主義者と戦う「否定と肯定(原題 Denial)」
 *アメリカの黒人暴動を警察がより苛烈な暴力で取り締まる「デトロイト」
 *アメリカの田舎のおばさんが警察に抗議する「スリー・ビルボード(原題 Three Billboards OUTSIDE Ebbing, MISSOURI)」
 *黒人差別をテーマにしたホラー「ゲットアウト」
 *政権政党の犯罪を新聞が告発する「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(原題 The Post)」
だ。

20180630get_out

映画としてのデキは「スリー・ビルボード」がダントツで、素晴らしい。
抑圧者にも弱さという動機があり、被抑圧者にも視野狭窄という反省すべき点がある。そして、対立が起こると街には禍々しい魔がいついてしまう、という、単に正義を訴え悪を叩くだけの映画ではなく、社会問題への視線を人間の心の奥底の問題に深めていて、深みがある映画なのにストレートで分かりやすいのが良かった。

スッキリ感動して、俺もガンバルゾーという勇気が出るのは「Hidden Figures」である。だれかに一本、面白いスカッとする映画を教えてよということになると、これになるだろう。

「Denial」と「デトロイト」はイマイチ感動のしどころが分からなかった。歴史的背景を知らないと分からないのだろう。特にデトロイトは見るのがツラい映画だった。

「Denial」は歴史修正主義者、いわゆるトンデモさんが巨悪として出てくる映画で、これは珍しい。巨大資本が動く映画は「科学万能主義」を叩き、トンデモさんにおもねる映画が多いような気がするが、見る側のリテラシーの向上に合わせて映画も変わってきてるのだろうか。

さて、「ゲットアウト」であるが、この映画はぼくにとって相当しょうもない、見ないほうが良かった映画であった。

以下ネタバレを隠す。









ここから完全にネタバレする。

この映画は、黒人の強靭で美しい肉体に偏愛した白人の部落の人々が、黒人の肉体を「脳移植で」手に入れるために、友好を装って黒人を拉致していくという筋立ての、こうまとめてしまえば分かる通りいまどき珍しいB級C級ホラーである。

これに、上に紹介した他の映画のような、多様性を求める人々と旧弊な抑圧社会の戦い、という「社会的な」テーマをまぶしている。
「デトロイト」という映画は、こっちに比べると大層まじめな映画であるが、後半がほとんど黒人に対する白人の執拗な拷問であって、「白人を悪魔化し、黒人を一方的な弱い被害者に置いたホラー、これでは社会問題は解決しない」という酷評があったそうだ。
なぜこの同じ批評が「ゲットアウト」に適用されないのか分からない。(ぼくがそういう批評を見てないからかもしれないが。)

ラストは黒人がなんとか悪い白人を殺して逃げようとするが、そこにパトカーがやってくる。
ああこれで黒人が捕まって終わりか、というバッドエンドを予想したのだが、そこに親友の別の黒人が乗っていてメデタシメデタシ、という取ってつけたような内容だった。
じっさい、もともとはバッドエンドだったのだが「救いがないのは良くない」みたいな話で差し替え、バッドエンドはDVD特典に入っているそうだ。

この映画がアカデミー脚本賞を取っているのにたいそうびっくりした。
どうも、「多様化が流行っているらしい」「昔みたいに単純に白人男性がヒーローでは通らないらしい」ということになって、まずショーバイとして「社会の多様化」ありきで、従来は金髪の白人女性がキャーキャー言っていたホラーやサスペンス、お涙頂戴ものなどが、社会的弱者を主役に置き換えられて、工業的に再生産されているのではないか。
で、そういう映画を、社会問題がまぶされているから批判できず、むしろ褒めなきゃいけない、という話ではないか。
だとしたら、どうにもイヤな風潮だ。



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【第1147回】【映画】スリー・ビルボードはすごかった!

月曜日、3月6日は映画「スリー・ビルボード」を見に行った。
演劇に映画と、遊んでばっかりで大丈夫か俺。

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この映画、電車の中吊りにデル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」と並んでいて、どっちも制作会社が20世紀フォックスの子会社のサーチライト・フォックスということもあるのだが「どっちがオスカーを取るか、オスカーを取る前に見よう!」という惹句が踊っていた。

それはいいのだが、現代はTHREE BILLBOARDS outside Ebbing, Missouriで、日本語題名もどっちかというと「スリー・ビルボーズ」だと思う。
「12モンキーズ」とか、「XYZマーダーズ」とかいう邦題がまかり通るならば、THREE BILLBOARDSも「スリー・ビルボーズ」だろう。
しかし、邦題は「スリー・ビルボード」になった。
これ、ふだんちょっとでも英語に親しんでいるとすげえ言いづらいよ。
The Hidden Figuresが「ドリーム」よりはいいけど。

面白いのが中吊りのポスターで、原題の「THREE BILLBOARDS」のSがちょっと切れているのだ。
3billIMG_0637


セコい!
デザイナーさんの努力が涙ぐましい。

映画の内容は、社会派で、真面目で堅苦しい映画化と思いきや、暴力たっぷり、ブラック・ユーモアたっぷりの映画らしい映画で、ストーリーの展開も早くて「ここでこう来ますか!」という筋運びの妙味もあって、頭から尻尾まで楽しめる映画だった。

映画が伝えるメッセージも「悪いことはしないようにしましょう」「いい人は助け合いましょう」などと言った平面的なメッセージではなく、「アウトレイジ」という映画に「全員悪人」というコピーもあったが、この映画は「全員善人(でも憎しみ合い傷つけ合う)」とでも付けたくなる映画だった。
感心したのは結末で、ハッピーエンドともバッドエンドともアンチクライマックスとも取れる場面だが、これ以上の終わり方は絶対にない。

以下ネタバレの前に空間を挟む。





以降ネタバレ





オスカー作品賞はデルトロの方に行ったそうだ。
主演女優賞を取ったフランシス・マクドーマンドはオスカー像を床に置くと、「アカデミーの女性のみなさん起立してください。プロデューサー、監督、作曲者、デザイナー、みんな」と言って、その数のあまりの少なさと、ダイバーシティの時代が来たというメッセージを伝えたそうだ。

マクドーマンドのオスカー像は会場から、「自称ジャーナリストの男」に盗まれるという珍事があったが、わりとすぐ見つかったようだ。
ゲスの勘ぐりだが、この映画が発しているダイバーシティ、女性や同性愛者、黒人や身体障害者にもっと活躍の場を与えるべきだし、そういう人たちはもっと力強く主張すべきだというメッセージを快く思わないプア・ホワイトなネトウヨ的な心性の男の犯行ではないだろうか。

一方、英米各地では、学校での銃撃を始めとする未解決事件に抗議して、スリー・ビルボードと同じ手法で抗議をするという運動が流行ってきているそうで、これはちょっと???と思わざるを得ない。
映画でも、この看板のやり方はもう1つの別の暴力であって、怒りは怒りを、炎は炎を呼んでしまうだけではないか、という1つの考え方も(それも一面からみた考えであるが)提示されていたと思うからだ。
ミルドレッドは英雄ではあるが、完全無欠な人間ではない。
彼女には同情せざるを得ないが、100%の共感は持てない。
ていうか、そこがあの映画の眼目だったと思うのだ。

ミルドレッドがビルボードに花を生けたり、そこに通りかかった鹿に話し掛けようとして泣く。
ミルドレッドにとってビルボードは、ライナスの毛布のようにしがみつく場所になっていて、でもいずれ、彼女も去らなければならない場所である。
その悲しさが分かるので、ぼくは自分で看板を建てようとは思わない。
もし建てている人が知り合いにいたら、どうしようもなく同情の言葉を掛けてしまうと思うけど。。













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