イジハピ!

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さいきんブログの評判が意外と気になるようになってきました。
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メディア時評

【第1147回】【映画】スリー・ビルボードはすごかった!

月曜日、3月6日は映画「スリー・ビルボード」を見に行った。
演劇に映画と、遊んでばっかりで大丈夫か俺。

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この映画、電車の中吊りにデル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」と並んでいて、どっちも制作会社が20世紀フォックスの子会社のサーチライト・フォックスということもあるのだが「どっちがオスカーを取るか、オスカーを取る前に見よう!」という惹句が踊っていた。

それはいいのだが、現代はTHREE BILLBOARDS outside Ebbing, Missouriで、日本語題名もどっちかというと「スリー・ビルボーズ」だと思う。
「12モンキーズ」とか、「XYZマーダーズ」とかいう邦題がまかり通るならば、THREE BILLBOARDSも「スリー・ビルボーズ」だろう。
しかし、邦題は「スリー・ビルボード」になった。
これ、ふだんちょっとでも英語に親しんでいるとすげえ言いづらいよ。
The Hidden Figuresが「ドリーム」よりはいいけど。

面白いのが中吊りのポスターで、原題の「THREE BILLBOARDS」のSがちょっと切れているのだ。
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セコい!
デザイナーさんの努力が涙ぐましい。

映画の内容は、社会派で、真面目で堅苦しい映画化と思いきや、暴力たっぷり、ブラック・ユーモアたっぷりの映画らしい映画で、ストーリーの展開も早くて「ここでこう来ますか!」という筋運びの妙味もあって、頭から尻尾まで楽しめる映画だった。

映画が伝えるメッセージも「悪いことはしないようにしましょう」「いい人は助け合いましょう」などと言った平面的なメッセージではなく、「アウトレイジ」という映画に「全員悪人」というコピーもあったが、この映画は「全員善人(でも憎しみ合い傷つけ合う)」とでも付けたくなる映画だった。
感心したのは結末で、ハッピーエンドともバッドエンドともアンチクライマックスとも取れる場面だが、これ以上の終わり方は絶対にない。

以下ネタバレの前に空間を挟む。





以降ネタバレ





オスカー作品賞はデルトロの方に行ったそうだ。
主演女優賞を取ったフランシス・マクドーマンドはオスカー像を床に置くと、「アカデミーの女性のみなさん起立してください。プロデューサー、監督、作曲者、デザイナー、みんな」と言って、その数のあまりの少なさと、ダイバーシティの時代が来たというメッセージを伝えたそうだ。

マクドーマンドのオスカー像は会場から、「自称ジャーナリストの男」に盗まれるという珍事があったが、わりとすぐ見つかったようだ。
ゲスの勘ぐりだが、この映画が発しているダイバーシティ、女性や同性愛者、黒人や身体障害者にもっと活躍の場を与えるべきだし、そういう人たちはもっと力強く主張すべきだというメッセージを快く思わないプア・ホワイトなネトウヨ的な心性の男の犯行ではないだろうか。

一方、英米各地では、学校での銃撃を始めとする未解決事件に抗議して、スリー・ビルボードと同じ手法で抗議をするという運動が流行ってきているそうで、これはちょっと???と思わざるを得ない。
映画でも、この看板のやり方はもう1つの別の暴力であって、怒りは怒りを、炎は炎を呼んでしまうだけではないか、という1つの考え方も(それも一面からみた考えであるが)提示されていたと思うからだ。
ミルドレッドは英雄ではあるが、完全無欠な人間ではない。
彼女には同情せざるを得ないが、100%の共感は持てない。
ていうか、そこがあの映画の眼目だったと思うのだ。

ミルドレッドがビルボードに花を生けたり、そこに通りかかった鹿に話し掛けようとして泣く。
ミルドレッドにとってビルボードは、ライナスの毛布のようにしがみつく場所になっていて、でもいずれ、彼女も去らなければならない場所である。
その悲しさが分かるので、ぼくは自分で看板を建てようとは思わない。
もし建てている人が知り合いにいたら、どうしようもなく同情の言葉を掛けてしまうと思うけど。。













【第1146回】【演劇】虚飾集団廻天百眼『殺しの神戯』千秋楽も見てよかった!

日曜日、3月4日は、『殺しの神戯』を見てきた。
千秋楽、2回目だ。

※あんまり劇評にはなってません~

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さいきん、健康とか仕事の問題で、同じ芝居を2回も3回も見るのがしんどくなってきた。
でも、2回も3回も見たほうが面白いのである。
芝居はリアルタイムで、原則やり直しがないので(昔別劇団の別公演で、役者さんの都合で部分的にやり直すのは見たことがあるが)ちょっとでも油断しているといろんなことを見逃してしまう。
ぼくなんか理解力がないので、ずいぶんいろいろ誤解してしまう。
まあ誤解したまま楽しんでいてもいいのだが(?)訳が分からなくなってしまう。

今回の百眼は分かりやすい方で、訳が分からなくなることはなかったが、それでも頭の中に???がいっぱい残った。
なにしろ舞台が2階建てで、ぜんぜん違うことをやっているし、客席中の花道からも役者が登場して、ザムザ阿佐ヶ谷内同時多発百眼…という状態になっているので、どこを見ているからでもぜんぜん脳に結ぶ像が変わる。

それで、初日に見てから、千秋楽にもう一回見るまで、俗世間で仕事なんかして、寝て、食べている数日間の間に、夜の間にも脳の中で???がガシャガシャ整理されて、次に見る時はここを重点的に見よう、ここは分かったから他のところを見よう、という整理が行われていたのだ。
行われていたらしい。
生体ディープラーニング(???)というか、意識はしていなかったのだが、そういうことが脳内で起こっていたようだ。
それで、千秋楽に2回目を見て、脳内の???が1個1個解決され、?が!に変わるときに脳内に変な物質が分泌され、どんどん気持ちよくなる。
複雑な舞台を2回見るとこういう楽しみがあるから、おすすめだ。

今回は演劇の前にグランドレビュウという催しがあって、ぴったり間に合うように行動していたのだが、中央線が土日阿佐ヶ谷に止まらないのを失念していて、通り越してしまった。
何回同じ失敗を繰り返せばいいのか。
それで、12分ぐらい遅れての入場になったが、ワタナベユウキさんはじめプロフェッショナリズムにあふれた劇団員さんがスムーズに誘導してくれて、入口近く、花道後ろにポッカリ空いた席に滑り込んだ。
その節はお世話になりました。

ところが、座った途端、目の前に紅日毬子さんが立っていてびっくりした。
花道から登場する趣向だが、たぶん位置的にぼくが一番最初に気づいたと思う。
もう完全に気持ちを作って、役柄になりきっていて、神々しい(役柄的には禍々しい)美しさ。
ヒャー。
バビったっす。

グランドレビュウと言っても、短縮版の音楽演劇で、迫力満点の音楽と踊りとセリフが詰まっているぶん、本編よりも濃い感じ。
ゲストに麻宮チヒロさん、飛び入りゲストに卒業生のナッチさんや、今回出演しなかったバロンさんもいた。
百眼のグランドレビュウは完全にモトが取れるのでオススメ。
サクッと見られるからこれだけ見るのもオツな感じかも。

ということで、レビュウも、本編も、中身の詰まった1日で楽しかった。
紅日毬子さんに関しては同じザムザ阿佐ヶ谷で今月月蝕歌劇団「女神(めしん)ワルキューレ」にゲスト出演するという、別劇団・別演目・同劇場・個人連続公演という面白い現象になっている。
月蝕と言えば昨年末、「白夜月蝕の少女航海紀」の再演を見て、同じ劇を違う役柄で演じるのがすごく楽しみだった。
今回は逆に、同じ役者さんが同じ舞台で連続して別の劇にでることになるので、時間差3Dみたいな感じで(なにそれ???)、こんなぼくでもいろいろ分かることがあるかもしれないので楽しみだ。





【第1143回】【音楽】さいきんチェット・ベイカーさんを聴いている

YouTubeで、昔の動画を見ていたら、タモリさんがジャズを語るみたいな番組に、林家こぶ平さん(林家正蔵さん)が出ていた。
こぶ平さんというのは、落語家というよりゆるふわのタレントで、特に印象に残るネタも鋭いトークもなく(失礼)、あまり気にしていなかったが、この時のジャズ・トークがこだわりがあって面白かった。
いわく、ジャズはモダン・ジャズのコンボに限る、ビック・バンドは認めない、録音した年月日が分からないと気持ち悪い(!)ということだ。
録音した年月日が、というのが超オタク的で面白いが、その番組では深く聞かれなかった。
それで、ヴォーカルものも認めない、という話になって、タモリさんが「ビリー・ホリデイも認めないのか」と言うと「ビリーも、良さは分かるけど、(ジャズとしては)認めない」みたいな話をしていた。

まあこぶ平さんに認められようが認められまいが、人それぞれだから、いいと思うんだけど、ぼくはそのときもしその場にいたら、「チェット・ベイカーはどうなんですか」と聞いてみたい気がした。

"Chet Baker"
チェット・ベイカーさんはなんと言ってもトランペットの巨匠で有名だ。
50年台はマイルス・デイヴィスを人気投票で抜いたそうだ。
めずらしくウエスト・コーストで活動していて、ウエスト・コースト・ジャズの巨匠と呼ばれた。

この人が歌も歌う。
トランペッターで歌を唄う人はめずらしい。
とうぜん演奏と歌唱は同時にできず、歌の途中でトランペットを吹いたり、歌だけで終わってしまったりする。

この歌が、変わっている。
中性的なのだ。
この人の歌、特に、「恋をしらないあなた(You don't know what love is)」や、この人の絶唱で、曲の決定版と言われる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を、人に聴かせて、男か女か当ててみて、と言うと、「ううん、女って言えば女だし。。男って言えば男だし。。」としばらく悩むので、面白い。

中性的と言ってもオネエっぽいとかではなく、性を超越したというか、天使的な、無性的な歌声である。
それでいて、色気があり、感情が篭っている。
不思議な歌声と言うしかない。


波乱万丈の人生を送った人で、最後は悲惨だった。
とにかくルックスがいい人で、トランペッターとしてスターダムを駆け上がり、そしてヴォーカル・アルバムを出して人気の絶頂に立った時は、ジャズ界のジェームス・ディーンと言われたそうだ。

父親もミュージシャンだったが、子供の頃のチェットの歌を「お前の歌は女の子みたいだなあ」とはやして、それで唄うのをやめて楽器に転向したらしい。
最初はトロンボーンをやっていたが、トランペットに転向して人気を得て、それからあいかわらず中性的な歌声で堂々とアルバムを出し、大ヒットを飛ばすところがカッコイイ。

ロックにファンク、と時代の先端を行ったマイルスと違って、チェットはスタンダードの、それも分かりやすい歌を、ほとんどフェイクも、アドリブも入れないで歌っている。
とことん自然な歌いぶりで、まるで、今の気持ちをそのまま歌っているような、その歌がもともとそう歌ってもらいたかったような歌声である。
いまさらこんな有名中の有名の人にハマるのも恥ずかしいし、ブログなんかで人に紹介するのは恥ずかしいの二乗だが、ぜひ聴いてみてクダサイ。



【第1142回】【書評】カズオ・イシグロ『私を離さないで』

去年の10月半ば、日系イギリス人のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞したということが話題になった。

Kazuo Ishiguro in 2017 03

早川書房は「特需」に湧いたそうだが、そうそう刷っていなかったので、どこの本屋さんでも売り切れていた、と話題になった。
電子書籍がないのか……? と思って、楽天koboを見ると、ある。
電子書籍はファイルをサーバーからコピーしてくるだけなので、売り切れるということが絶対にない。
絶版もまずない。
(ストアーが閉店したりして読めなくなってしまうことはまれにある。)
なのに、誰も買わないのである。
電子書籍ってマイナーなんだなあ~と思った。

それで、一番ポップそうな『私を離さないで』を買って読んだ。
具合が悪いときにベッドで読み始めたのだが、出だしが読みづらくて一回挫折した。
いかにヤワな本しか読んでないか、である。

通勤電車で読み始めたら、調子が出てきて、引きずり込まれた。
そういえば大江健三郎氏も「電車の中は逃げ場がないから難しい本を読むといい」と少年向けの公演で言っていた。

一人称の、おぼつかない口ぶりで、主人公の境遇が、だんだん明らかになってくる。
イシグロ氏の特徴的な手法は「信頼できない語り手」と言って、一人称の語り手が語らない、あるいは、知らないことがある、という特徴があるようだ。

この本には秘密がある。
イシグロ氏じしんは、別にミステリーではないし、ネタバレしてもらってかまわない、と書いているようだが、この秘密が明らかになるタイミングが斬新だなと思った。





以下一部ネタバレ





イシグロ氏がノーベル賞を受賞したとき、ツイッターに「英国人であるイシグロ氏の受賞を、日本の誉れであるかのように喜ぶマスコミは間違っている」という意見が踊った。
いぜん筒井康隆が「文学者は必ずしも国家のために作品を書くものではない。ガルシア・マルケスも大江健三郎も作品は反国家的である。むしろ、現代の文学は反国家的であることから生まれるのではあるまいか」という意味のことをたしか書いていて、それにぼくも共鳴していたので、イシグロ氏の受賞を喜ぶマスコミを揶揄するツイートを書いた。

しかし、イシグロ氏の受賞スピーチおよび記者会見での数々の発言は、日本への思いがあふれたものであった。
長崎での母親の核体験、日本という国について想像を巡らすことが虚構を仕事とするもととなったこと、村上春樹の受賞を願っていたはずの日本人が我がことのように受賞を喜んでくれて感動した、などなど。

『わたしを離さないで』を一通り読んで感動した後に、他の人の感想を読みたいと思って、一通り検索してみると、Dan Kogaiさんが書評を書かれていて、作品の筋立てに根本的な疑問を呈されていたので、あらためて本を読み返し、自分なりに考えた。

404 Blog Not Found:書評 - Never Let Me Go

Never Let Me Goというのは、作品の中で掛けられる架空のレコードの題名である。
意味としては「恋人よ、私を離さないでくれ(自分を愛し続けてくれ)」という意味にも取れるが、この作品を読むと「ご主人様、自分を逃さないで下さい(自分が脱走するのを阻止して下さい)」という意味にも取れる。
そして「私を殺さないでくれ(私の命を取らないでくれ)」とも感じる。

文学作品を、すぐに社会批判に結びつけるのも愚かなことだが、ぼくはこの作品に出て来る不幸な子供たちを、どうしようもなく今の日本人に結び付けざるを得なかった。
不幸な状況にいて、それを嘆きながら、しかし逃げはしない、自分の環境を変えたり、物理的に外国に移住したりしない民たち、そして、最終的には支配者は自分のことを良くしてくれる、大勢の集団を良くしてくれはしなくても、自分だけは(なぜか)いい目を見せてくれるのではないか、という、淡い希望を持っている民たちのことを考えたのである。

しかし、それは、よく知らないが、イギリスの下層階級にも言えることらしい。『わたしを離さないで』は、どうしようもなくイギリスの階級社会についての批判とも読める。
イギリスの虐げられた民たちも、逃げない。
どういうわけか、逃げないで、自分たちだけは、なぜか、いい目を見られるのではないか、と思っている。

イシグロ氏は5歳から母の国日本を離れて、イギリスに住んで、根っからのイギリス人に育ったと言われているが、しかし見た目は日本人であり、イギリス社会の中で、有形無形の差別を受けたに違いない。
そしてその文学の中にも、被差別者としての体験が織り込まれている。

イシグロ氏はやはり平和賞を受賞した、日本人を中心とした反核団体ICANのことも褒め称えている。
彼が受賞したことを、日本人として喜び、感謝したい。



【第1140回】【演劇】虚飾集団廻天百眼『殺しの神戯』初日!

さいきんは体の不調も手伝って、酒を呑みに行くことも演劇を観に行くことも減ってしまった。
じつは去年から会社勤めを復活して、いろいろ失敗もあるけど真剣に取り組んでいるので、ブログも書くにまかせなかった。
でも、さすがに月蝕歌劇団と廻天百眼とA・P・B-Tokyoは観に行く。
今日、2018年2月25日(日曜日)は、ザムザ阿佐谷に百眼の劇場本公演『殺しの神戯』を見に行った。



コロシのシンギと読む。
わけが分からない題名である。
いや、『屍のパレード』や『冥婚ゲシュタルト』がわけが分かったわけじゃないけど、『殺しの神戯』は部分部分が分かるだけに、全体としてはわけが分からない。
一通り見て、いやあ~これは「コロシのシンギ」としかいいようがないなあ~と思った。

ザムザ阿佐谷は、東京の中心の近くなのに自然を感じる劇場で、舞台がどこか神社というかお寺の感じがするし、そういうセットが組まれることが多い。
でも、回りに飲み屋街や古いフーゾクのお店があったりして、猥雑な感じもする。
その劇場の周辺の感じが、そのまま舞台に結晶している気がした。

ビックリすることが多い百眼の舞台だから、なるべく情報を入れないようにしていたが、それでもどうしても情報が入ってきてしまう。
今回は『帝都物語』のようなサイキック・バトルの話なのかなあ~と思っていたが、どちらかというとむかし少年チャンピオンに漫画化が載っていた『百億の昼と千億の夜』のような宗教戦争の話だった。
一回でわけがわかる話ではないし、こんな風にエンタメを別のエンタメに似ている、と評するのもバカっぽいのだが、小学生の頃『百億の昼と千億の夜』を見たときに、阿修羅王と鞭を持ったイエスが戦う、聖俗入り混じった話を、わけがわからないながらワクワクして読んだ感じを、数十年ぶりに思い出したことが、ここに書きたかった。

ひとつだけネタバレすると、序盤に若い女優さんが肌を見せる場面があって、あまりにも、陶器のようにきれいだから何らかのお人形かと思っていたら、動き出して、それでも何らかのプラスチックのボディスーツかと思っていたら、生身で心底驚いた。
それが、後半の、百眼お得意の衝撃のシーンにつながっていて、魂を鷲掴みにされるようなショックを受けた。
エロスと、タナトスと、パトスと、エトスが交わるところにある演劇。
これは3月4日の楽日まで何回も見に行くことになるだろう。

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