去年(2017年)から社会派の映画、それも、女性や黒人、マイノリティや社会的弱者の権利を主張する洋画をたくさん見た。具体的には、
 *NASAで働く女性の人間コンピューター(計算係)が地位向上を目指す「ドリーム(原題 Hidden Figures)」
 *ユダヤ人の歴史学者が修正主義者と戦う「否定と肯定(原題 Denial)」
 *アメリカの黒人暴動を警察がより苛烈な暴力で取り締まる「デトロイト」
 *アメリカの田舎のおばさんが警察に抗議する「スリー・ビルボード(原題 Three Billboards OUTSIDE Ebbing, MISSOURI)」
 *黒人差別をテーマにしたホラー「ゲットアウト」
 *政権政党の犯罪を新聞が告発する「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(原題 The Post)」
だ。

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映画としてのデキは「スリー・ビルボード」がダントツで、素晴らしい。
抑圧者にも弱さという動機があり、被抑圧者にも視野狭窄という反省すべき点がある。そして、対立が起こると街には禍々しい魔がいついてしまう、という、単に正義を訴え悪を叩くだけの映画ではなく、社会問題への視線を人間の心の奥底の問題に深めていて、深みがある映画なのにストレートで分かりやすいのが良かった。

スッキリ感動して、俺もガンバルゾーという勇気が出るのは「Hidden Figures」である。だれかに一本、面白いスカッとする映画を教えてよということになると、これになるだろう。

「Denial」と「デトロイト」はイマイチ感動のしどころが分からなかった。歴史的背景を知らないと分からないのだろう。特にデトロイトは見るのがツラい映画だった。

「Denial」は歴史修正主義者、いわゆるトンデモさんが巨悪として出てくる映画で、これは珍しい。巨大資本が動く映画は「科学万能主義」を叩き、トンデモさんにおもねる映画が多いような気がするが、見る側のリテラシーの向上に合わせて映画も変わってきてるのだろうか。

さて、「ゲットアウト」であるが、この映画はぼくにとって相当しょうもない、見ないほうが良かった映画であった。

以下ネタバレを隠す。









ここから完全にネタバレする。

この映画は、黒人の強靭で美しい肉体に偏愛した白人の部落の人々が、黒人の肉体を「脳移植で」手に入れるために、友好を装って黒人を拉致していくという筋立ての、こうまとめてしまえば分かる通りいまどき珍しいB級C級ホラーである。

これに、上に紹介した他の映画のような、多様性を求める人々と旧弊な抑圧社会の戦い、という「社会的な」テーマをまぶしている。
「デトロイト」という映画は、こっちに比べると大層まじめな映画であるが、後半がほとんど黒人に対する白人の執拗な拷問であって、「白人を悪魔化し、黒人を一方的な弱い被害者に置いたホラー、これでは社会問題は解決しない」という酷評があったそうだ。
なぜこの同じ批評が「ゲットアウト」に適用されないのか分からない。(ぼくがそういう批評を見てないからかもしれないが。)

ラストは黒人がなんとか悪い白人を殺して逃げようとするが、そこにパトカーがやってくる。
ああこれで黒人が捕まって終わりか、というバッドエンドを予想したのだが、そこに親友の別の黒人が乗っていてメデタシメデタシ、という取ってつけたような内容だった。
じっさい、もともとはバッドエンドだったのだが「救いがないのは良くない」みたいな話で差し替え、バッドエンドはDVD特典に入っているそうだ。

この映画がアカデミー脚本賞を取っているのにたいそうびっくりした。
どうも、「多様化が流行っているらしい」「昔みたいに単純に白人男性がヒーローでは通らないらしい」ということになって、まずショーバイとして「社会の多様化」ありきで、従来は金髪の白人女性がキャーキャー言っていたホラーやサスペンス、お涙頂戴ものなどが、社会的弱者を主役に置き換えられて、工業的に再生産されているのではないか。
で、そういう映画を、社会問題がまぶされているから批判できず、むしろ褒めなきゃいけない、という話ではないか。
だとしたら、どうにもイヤな風潮だ。



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