月曜日、3月6日は映画「スリー・ビルボード」を見に行った。
演劇に映画と、遊んでばっかりで大丈夫か俺。

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この映画、電車の中吊りにデル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」と並んでいて、どっちも制作会社が20世紀フォックスの子会社のサーチライト・フォックスということもあるのだが「どっちがオスカーを取るか、オスカーを取る前に見よう!」という惹句が踊っていた。

それはいいのだが、現代はTHREE BILLBOARDS outside Ebbing, Missouriで、日本語題名もどっちかというと「スリー・ビルボーズ」だと思う。
「12モンキーズ」とか、「XYZマーダーズ」とかいう邦題がまかり通るならば、THREE BILLBOARDSも「スリー・ビルボーズ」だろう。
しかし、邦題は「スリー・ビルボード」になった。
これ、ふだんちょっとでも英語に親しんでいるとすげえ言いづらいよ。
The Hidden Figuresが「ドリーム」よりはいいけど。

面白いのが中吊りのポスターで、原題の「THREE BILLBOARDS」のSがちょっと切れているのだ。
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セコい!
デザイナーさんの努力が涙ぐましい。

映画の内容は、社会派で、真面目で堅苦しい映画化と思いきや、暴力たっぷり、ブラック・ユーモアたっぷりの映画らしい映画で、ストーリーの展開も早くて「ここでこう来ますか!」という筋運びの妙味もあって、頭から尻尾まで楽しめる映画だった。

映画が伝えるメッセージも「悪いことはしないようにしましょう」「いい人は助け合いましょう」などと言った平面的なメッセージではなく、「アウトレイジ」という映画に「全員悪人」というコピーもあったが、この映画は「全員善人(でも憎しみ合い傷つけ合う)」とでも付けたくなる映画だった。
感心したのは結末で、ハッピーエンドともバッドエンドともアンチクライマックスとも取れる場面だが、これ以上の終わり方は絶対にない。

以下ネタバレの前に空間を挟む。





以降ネタバレ





オスカー作品賞はデルトロの方に行ったそうだ。
主演女優賞を取ったフランシス・マクドーマンドはオスカー像を床に置くと、「アカデミーの女性のみなさん起立してください。プロデューサー、監督、作曲者、デザイナー、みんな」と言って、その数のあまりの少なさと、ダイバーシティの時代が来たというメッセージを伝えたそうだ。

マクドーマンドのオスカー像は会場から、「自称ジャーナリストの男」に盗まれるという珍事があったが、わりとすぐ見つかったようだ。
ゲスの勘ぐりだが、この映画が発しているダイバーシティ、女性や同性愛者、黒人や身体障害者にもっと活躍の場を与えるべきだし、そういう人たちはもっと力強く主張すべきだというメッセージを快く思わないプア・ホワイトなネトウヨ的な心性の男の犯行ではないだろうか。

一方、英米各地では、学校での銃撃を始めとする未解決事件に抗議して、スリー・ビルボードと同じ手法で抗議をするという運動が流行ってきているそうで、これはちょっと???と思わざるを得ない。
映画でも、この看板のやり方はもう1つの別の暴力であって、怒りは怒りを、炎は炎を呼んでしまうだけではないか、という1つの考え方も(それも一面からみた考えであるが)提示されていたと思うからだ。
ミルドレッドは英雄ではあるが、完全無欠な人間ではない。
彼女には同情せざるを得ないが、100%の共感は持てない。
ていうか、そこがあの映画の眼目だったと思うのだ。

ミルドレッドがビルボードに花を生けたり、そこに通りかかった鹿に話し掛けようとして泣く。
ミルドレッドにとってビルボードは、ライナスの毛布のようにしがみつく場所になっていて、でもいずれ、彼女も去らなければならない場所である。
その悲しさが分かるので、ぼくは自分で看板を建てようとは思わない。
もし建てている人が知り合いにいたら、どうしようもなく同情の言葉を掛けてしまうと思うけど。。