また観劇日誌である。

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 別に演劇好きを標榜しているわけでもないし、鋭い劇評を書いているわけでもない。このブログを読んで劇場に行く人もいなかろう。時間もお金もないので、行くのを減らそうと思っているが、それでもどうしても外せない劇団がいくつかあって、A・P・B-Tokyoはそのひとつだ。
 先月末から今月は特にひどくて、雑司が谷の唐組、高円寺のA・P・B-Tokyo、また高円寺の万有引力、新宿の唐組、阿佐ヶ谷で廻転百眼、新宿で梁山泊を見に行く。
 アホだ。
 あきれないでください。

 A・P・B-Tokyoはぼく内での小劇場ブーム、寺山修司ブームに火を点けた劇団だ。万有引力が超ハード、硬派な寺山、月蝕歌劇団が超ナンパな、フリーダムな寺山とすると、ちょうどその中間という気がする。ではどれが一番いいというわけではなくて、どの劇団も捨てがたい。ぼくは難解なアングラ演劇を一生懸命理解して見ようとする方なので、同じ演目を見比べて理解するのが楽しみだ。A・P・Bがこの3つの中ではリリカルな味わいがあって、泣けて感動できる。あと舞台の妖精、小さいおじさんの山田マメさんが出ていて超かわいくて感動する。

 とはいうものの、今回は寺山修司作品ではなくてオリジナル作品の『双眼鏡の女』というものだった。代表の浅野さんというガタイの大きい方が(ぼくはこの方の女装が面白くて好きなんだけど最近ないなァ)、柴田優作という変名で2005年に書かれた脚本を11年ぶりに再演されたそうだ。
 明後日までやっているからネタバレできないが、精神病院、戦争、カラスというモチーフが出てくる、少年SF的なレトロ不思議な作品で良かった。
 やはり寺山味があって、溢れ出る言葉やわかりやすい劇中歌もあって良かった。高野美由紀さんが少女と熟女の両面があって良かった。今回はツイッターで絡んでもらっている飯塚美花さんに予約してもらったんだけど、飯塚さんもお色気&キチガイという二面性のある役で良かった。ぼくは人間の二面性を舞台で見ると強く演劇を感じ、日常から離れて演劇を見に来て良かったなーと思う。
 明後日月曜日までやっているそうです。

 アフタートークは作家の土田英生さん(劇作家協会理事・劇団mono主催)という方で、愉快なトークで盛り上がった。土田さんはストーリーにいろいろ腑に落ちないことがあるようで、そこを突っ込んでいた。
 まず、最初に演劇の主張として人間は希望があるからいい、希望を取り戻すべきだ、と言っていたのに、最終的には希望が病いである、と言っているのはどうしてか、ストレート・プレイではないから真っ直ぐでなくてもいいのだが…という疑問だった。浅野さん=柴田優作さんは「昔の作品で忘れちゃった」と言っていたが、ぼくは「希望を持つ=魂を開放することは、苦しみも伴う。その苦しさも含めて生の実感である」という、通俗的な理解をしていた。浅野さんは「寺山は演劇の半分は客が作るものと言っていた」と言って、土田さんに「カッコいいこと言ってるけど、これは逃げですからね!」と言っていたが、ぼくとしてはそういう理解でいいと思った。
 次にまた土田さんから「割りと終盤になってからポーンと過去に飛んでストーリーの主軸となる伏線が出てくる。これは最初に出てくるとグッと分かりやすいのでは」的な疑問があった(いい加減な要約はすべてぼくによるものです)。浅野さんは「当時の柴田さんはそういうふうにしたかったみたいです」と言っていた。ぼくはわりと、謎謎謎と来て、過去にこういうことがあったんですよ、で一気に謎が解けるというパターンはカッコ良くていいなあと思ったけど、そうは言っても土田さんの質問に出てくる要約を聞いて初めて分かることもいろいろあって、この質疑応答はためになった。

 観客の質問を求められたので「寺山を演じるのとオリジナルを演じるのとどう違うか、オリジナル作品を作る時いつ完成したと思うか」という質問をしてみた。聞き方が悪かったらしくて2問目だけが強く届いてしまったようだが、浅野さんは「完成することはないです。この脚本も今回いじくったし、寺山をやるときもコラージュ(リミックス)してやっている。それで寺山じゃないって批判されることもあるけど、いちど九條さんに「寺山が生きていたら、こんなに新しく作り変えてくれて、喜んだと思います」と言われたこともある」という意味のことを答えてくれた。
 高野さんは「いつ作品が完成するかって言えば、それは期日(締め切り)が来たらです。舞台は幕を開けなきゃいけないし、稽古もしないといけない。もちろんずっと悩んでて、公演が終わってもついついセリフをなぞったりするけど」と言っていて、なるほどー、と思った。プロの世界の厳しさを感じた。質問して良かった。