今年になってから、ニュースは、男性ボーカル・グループSMAPと、女性タレントのベッキーの話でもちきりだ。

SMAP generic
 本当は、世界同時株安とか、それにがっつりつぎ込んでいる年金の話とか、大寒波とその被害の話とかしてくれた方がいいのだが、それをしのぐ勢いで芸能ニュースがテレビを支配している。
 ぼくはSMAP騒動を見て、自分がいかにSMAPさんのことをどー・でも・いー! と思っていたかに自分で気づいてびっくりした。ぼくは自他ともに認める芸能好き、テレビ好きであるが、結局ぼくが好きなのは若い女性タレント、それもAKBグループ、ハロー・プロジェクト、ももクロ、エビ中などの大勢いる人たちだけで、女性でもなければ若くもないSMAPのことはびっくりするほど感心がなかったのだ。
 しかし、ここ数週間のSMAP騒動の取り上げられ方は面白かった。テレビが、いかに世の中を伝えているかではなく、いかに世の中というものを歪曲して伝えたがっているか、そして、それが結果的に裏目に出ているかがよく分かったからだ。

 テレビ、いわゆるワイドショーは、タレントの恋愛、破局などの騒動を面白おかしく記事にする。しかし、出る人と出ない人がいる。松田聖子、郷ひろみはやたら出るのに、ジャニーズ、AKBグループのタレントは出ない。これは、テレビ局が報道番組と一緒に、タレントが出る歌番組やバラエティ番組も同時に放映している。もしジャニーズの一部タレントのスキャンダル、あるいはジャニーズ事務所自体のスキャンダルを報じて、事務所の怒りを買ってしまい、タレントの出演を禁じられてしまったら、番組が成り立たなくなってしまう。よって、テレビのワイドショーは大プロダクションのタレントのスキャンダルは報じない。郷ひろみはジャニーズ事務所を飛び出して独立プロを立ち上げてから、とたんにスキャンダル、バッシングを受けるようになった。

 今回も、SMAP騒動を最初に報じたのは週刊文春で、後追いはほとんどスポーツ新聞だった。さすがにテレビでこの事件をまったく報道しないことはできない。なにしろSMAP自体の存亡の危機であるから、いまやっている番組に出ている出演者が急にいなくなってしまうかもしれないのである。でもテレビでは「スポーツ新聞ではこう言っていますがどうなんでしょう」という、間接取材の形をとった。
 あの「やじうまワイド」がはじめた、新聞をテレビカメラで映して付箋紙で「メクリ」を作り、それを剥がしながら指し棒でレポーターが解説するという形はなんなんだろうね。まるで幼児向けの読み聞かせである。「スポーツ報知ではこう言っています」、「日刊スポーツではこう言っています」と言うのである。テレビ局も報道機関なのに、取材権を拒否している。

 今回も「サンデー・ジャポン」で、「空気が読めない外人タレント」であるデーブ・スペクターさんがその件に触れ「なぜ、SMAPと一番太いパイプを持っているテレビ局が独自取材をしないのか。ぜんぜんタレントと関係がないスポーツ新聞が取材して、テレビはそれを後追いしている。違和感を感じる」と言ったが、出演者全員に遮られて終わった。
 ところが、「逆に」、この番組がすごく面白かった。テレビ界の暗部、芸能事務所との癒着が期せずしてあからさまになってしまったのである。これがテレビは恐ろしくも面白いなーと思った。デーブ・スペクターさんには引き続きがんばってもらいたい。

 生放送謝罪のあと、スポーツ新聞もテレビも一斉に「SMAP存続!」、「解散の危機を回避」と報じた。政治家も「解散しなくて良かった」と語ったそうである。最近はブラック企業が話題になっていて、ワーク・ライフ・バランスが保てない、さらに辞めようとするといやがらせされる、と言ったことが社会的関心事になっていて、マスコミもそういう飲み屋チェーンや学習塾の問題を報道している。でも、テレビがこういう大政翼賛放送をしていたら、説得力がなくなる。人権意識のなさが露呈してしまうわけである。