題名を見てドーシチャッタノと思われるかもしれないが、まあお暇なら読んでください。

2006-01-21 Ring of love
 先日せまい道路をウォーキングしていたら、高級自動車が対面からやってきた。ああ、嫌だなと思ったのだが、その車の手前に道幅が広くなっているところがあって、そこまでぼくの方が早くたどり着けるという読みがあったので、ピッチを落とさずに歩いた。
 向こうの運転手もこっちがよけるという思い込みがあったと見えて、比較的早いスピードで向かってきた。狭い道に二者が向かい合う形になり、ぼくも車も急停止したのだが、間に合わず、ちょっとコツンと当たってしまった。まあ文字通り接触しただけで、痛みも怪我もなかった。そんなことぐらいありますよ。でも、ぼくは大げさなたちであって、「アッ」と大声を出してしまった。
 でも、本当に何の怪我もなかったので、そのまま車をやり過ごして歩き去ろうとしたのだが、後ろの席から、身なりのいい老婦人が小走りに降りて来て、「あなた、大丈夫? あなた、大丈夫?」と言いながらぼくの体をさすりはじめたのだ。
 普通なら車もそのまま行き過ぎていいところである。でも、その老婦人は、ごめんなさいねー、痛かったら言ってくださいよ、我慢しなくていいんですよ、と1分ほども言っていた。
 感動した。
 愛とは無償の思いやりであると言う。普通は、親とか恋人同士の間の思いやりを言う。しかしこの場合、まったくの見ず知らずの赤の他人であって、もし面倒なことになったら大変な局面である。無償どころか、マイナス償の思いやりである。出来る人とできない人がいるのではないだろうか。ぼくが車に載っている立場だったら、できるかどうか自信がない。
 老婦人にしたら、当然のようにそうすることと決まっているようで、運転手に命じて(旦那さんか息子かもしれないが)、車を停止させ、すぐに降りてきた。ぼくは慌てて「本当に大丈夫です」と丁重にお礼を言って、そのまま前後に分かれた。
 こういうのは気持ちが良い。こういうことが1回でも2回でもあると、気分が良くなって、他の人にも優しくしようと思う。

 別の夜、住宅街の中に、狭い建物の前に駐車場があるところがあって、大勢の大人がそこに立っていて、建物の中を覗き込んでいた。
 暖冬とはいえ寒い夕方のことだ。男性も、女性もいて、みな無言だ。足踏みをして寒さを紛らわせている人もいる。
 何事かと思って建物の中を見ると、子供が空手の練習をしている。子供が可愛いのか、危ないことをしないか心配なのか、両方なのかもしれないが、親が群れ集って自分の子供の練習をじっと見ているのである。
 ぼくは加齢で涙もろくなっているので、目頭が熱くなった。ていうかぼくに、同じことが出来るかどうか分からない。子供がせっかく習い事をして、先生が見てくれているのである。ぼくだったら家で羽根を伸ばして、好きなテレビを見ているか、だらだらうたた寝をしているかもしれない。その方が合理的な気がする。でも、親たちはそうせず、寒い夜に駐車場に立って、ずっと子供の練習を見守っているのである。見守れずにおれないのであろう。しょうじきこの親たちはぼくよりも年下の人が多いが、すごいなと思った。ぼくは家庭を持つ機会がなかったが、こういう人が新時代の担い手を育ててくれてるのは、ありがたいなあとも思った。

 最後にちょっと嫌な思いをしたことを書く。別にイヤなことなんか最後に書かなくてもいいと思うのだが、長さ的にそれぐらい書かないとちょうどよくならないのである。
 最近あるブランドのスポーツドリンクが気に入っていて、それが安くなるドラッグストアーに通っている。あまりにも通うので、ポイントカードを作ることにした。申込書を頼むと、まあ細かい項目をびっしり書かされる。それでも、こっちが頼んだことだから、1個1個項目を埋めていた。
 すると、後ろに、会計待ちの列ができた。
 ぼくは、ポイントカードの申し込みなんかで他の人を待たせるのは悪いので、横に避けて「アッ、こっちの会計の方を先にしてください」と言ってみた。
 すると店員は「いいんですよ! 大丈夫ですよ! お書きになってください!」と言ったのである。
 この店員の態度は疑問である。それは店員が言うことではなかろう。ぼくの後ろには2〜3人も会計を待っている人がいた。そっちの人の総意が、ぼくがポイントカードの申し込みなんかを続けることかどうか分からない。もしぼくが会計を待っている立場だったら、相当むかっ腹が立った局面である。
 結局ぼくは「いいから、会計を先にして」と言って、となりの閉鎖中のレジまで行って申し込み用紙を書き続けた。レジには割り込み機能がついていると見えて、店員はしれっと後続の客の会計をしていた。
 その客の列がすっかりハケてから、ぼくは再度レジに並んでポイントカードの申し込みと、途中になっていた会計をした。別に矛盾なく会計は終わった。「どうも、お待たせしました」と店員に丁重に言われたが、別に待っていないのである。「今日のこのお買い物からポイントが付きますので!」と言われたが、この店員はあまり思いやりがないと思い、たとえポイントなんかがついても、その店であまり買物をしたくなくなってしまった。

 愛とはなんだろうか。なかなか難しい問題だが、ぼくは、言ってしまえば「人を思いやれる体力」だと思う。こっちが体力があって、健康で、経済的にも余裕があり、いいことが立て続けにあっていい気分だったりすると、他の人も幸せになれと思う。でも、自分に余裕がないと、他の人に振り向けるだけの余裕がなくなる。
 ただ、多少余裕がなくても、他の人に愛を振り向けられる人と、そうでない人がいる。で、甘い考えかもしれないが、他の人に愛を多めに与える人は、社会を良くするし、結果的にその人も幸せになるのではないか。
 立て続けに上記のようなことがあったので、そういうことを考えた。