★本ブログは来週1週間お休みします。再開は1月4日になります★

本ブログ、「イジハピ」がとうとう第1000回に達した。
ご愛読を感謝します。

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月曜から金曜まで1日1回、週に5回書いている。
1年は、365を7で割ると52.142…だから、52週の年と53週の年がある。
年末(1月1日を挟む週)と親父の命日(7月28日を挟む週)に各1週間強休んで、年に50週、250回書くようにしている。
2012年の1月2日が第1回で、それから丸4年がかりで1000回に到達した。

最初はライフハックスという、仕事術や生活の知恵をもうちょっと洗練したような(?)ムーブメントにハマっていて、そのことについて書こうと思っていた。
でも、わりにすぐ飽きてしまったと見えて、読み返すとライフハックス以外のことの方が多い。

ただ、ブログを書くということ自体が1つのライフハックスであって、アウトプットを増やす、見たこと、知ったこと、学んだことについて、ちゃんと身についているか、自分の考えとして落とし込んでいるかを文章にして計ることで、さらなる生活の向上を目指すためのブログにしようと思っていた。
この方針じたいは、大枠では今も変わらない。

ブログなんかもう古いという説もあって、これからブログなんか始めたいと言う人がいるかどうか分からないけど、続けるコツを1つだけ伝授するとすれば、「第何回」と題名に書くことだ。
もう何回も書いた、ということが自信につながるし、「俺はブログをn回も書く男だ」という自信が、いろいろなところで心の支えになる。
いまは、1000回も書いた自分すげえなと、しみじみと思う。

買った電化製品(や服や食べ物)のどこが良かった、という物評のようなものをよく書いている。
これも書いてよかったと思う。
ぼくじしん何かを買うときは、他の人が書いたブログを参考にする。
単なるレビュー記事ではなく、書いた人なりの味がある文章が参考になる。
というのは「こういうような人は、こういう製品の、ここが気に入って使っている」ということが分かるからだ。
あるものが、人類全体にとって普遍的にどういいか、悪いか、というのは、電化製品評論家でもないかぎり分からないし、そういう全方位の記事は、意外と役に立たない。
電化製品の使い心地というのは、人とモノの間に存在するものであって、こういう人がこう使うとこう良かった、というのを書かないと参考にならない。
ブログというパーソナルメディアが、雑誌や新聞といった大マスメディアよりも優れている点があるとすれば、こういうところだと思う。

電化製品の評だけでなく、本の評もレコードの評も、それなりに書いているが、割りと気にしているのは「気に入らなかった場合は無視するだけで、わざわざけなす記事を書かない」ということだ。
というのは、上に書いたのと逆の理由で、たまたまぼくの立場でぼくのために役に立たなかったからと言って、普遍的に悪いものであると書く理由がないからである。
よく言われる「人の手から茶碗を叩き落とす」行為であって、どんなにぼくにとってつまらなく思えた電化製品であっても、本であっても、誰かには気に入られて、その結果として市場がにぎわうのであれば、わざわざブログで言及してけなすこともあるまいと思った。

それでも、辛評にあたる文章を何個かは書いている。
それは、批判を書くことが、そういう傾向の作品を生み出した社会への批評になっていると思って書いているときだ。
たとえば「自己啓発本の表紙が白人の子供の顔写真になっていることが多くて気持ち悪い」と書いたが、この気持ちは今も変わらないし、文章に残すべきだと思った。

だが、わざわざブログに反論をもらうのは他人のものをけなす文章を書いた時だ。
それが好きな人から反論をもらうのである。
その気持ちも理解できる。

他の人のブログや、SNSを見ていると、本やものをけなす文章がすごく多い。
「嵩にかかって」批判している人がいる。
これまでマスメディアが独占していた発信する力を、世間の人が入手すれば、そういうことになるわけであって、みんなストレスたまってて大変だなーと思うし、そういう文章にも勉強になることが書いてある。

ぼくなんかの本が辛評されることもある。
わざわざ目に止まってありがたい限りだが、けなされるとやはりヘコむ。
でも、ヘコむ気持ちを我慢して、いちいち読んでいると分かるのは「世の中にはいろんな人がいる」ということだ。
まったく同じ本について「この本は難しくてわかりにくい」と言う人もいれば、「この本はやさしすぎて内容がない」と言う人もいる。
どないせえっちゅうねん。
いや、ありがとうございます。
でも、結局、ある人の欲求を満たそうと思えばある人からは離れていく。
それはしょうがないことと割り切るしかあるまい。

ぼくは何か仕事をするときは、誰か一人でも喜んでもらえればいいと思って、ものを作るようにしている。
ぼくの場合とりあえず「昔の自分が『こういう本があれば助かったのに!』と思うような本」を書けばいいと思っている。
昔の自分みたいな人は、世の中にある程度の数いるだろうから、そういう人の役に立てば本望だ。

話がそれたが、だから、人のもののことも、あまりけなす文章は書いていない。
今の自分にとって気に入らなければ、無視すればいいのである。

コンピューターの話もあるていど書いているが、記事の数としては思いのほか少ない。
理由は単純で、コンピューターについてそれほど詳しくないからだ。
あと、バカをさらすと恥ずかしいと言う気持ちもある。
自分がほんらい知っているべき分野であると特にその気持ちが強くなるのだ。

でも、もっと勇気をふるってたくさん書いたほうがいいとも思う。
Windowsの細かい設定など、困ったときにWebを検索すると、自分のブログが見つかることがままある。
結構いいことが書いてあって、助かる。
加齢の影響で物忘れがひどくなっていて、自分で書いたことを完全に忘れているのだ。
読んでみると、さすがに自分の文章だけあって、分かりやすい。
すげえな昔の自分、と思う。

最近の傾向としては、演劇に行った話が多い。
ブログを書き始めた頃に演劇にかぶれ始めて、ここ2〜3年は特にまとめて見ていて、いちいち記事にしている。
どれもみな、劇団員の方やスタッフの方が力いっぱいそれぞれの役割りを演じていて、それが伝わってくるので、いちいち感動して書いている。
これも劇評というのではなく、たとえば南阿佐ヶ谷ひつじ座に行く道順とか、近所のコンビニのトイレがどこがいいかとかも書いている。
普通こんなことをわざわざ書く人はいないだろうが、あとで自分で読んで、助かる。

演劇は小説やDVDと違って、そのとき劇場に行ったときの空間、空気を体験することが感動の大きな部分を占める。
自分そのもの、その日の朝から夜までの一日そのものについて、書きたいといつも思っている。
読み返すと、暑い時は暑い中を、寒い時は寒い中を、歩いて劇場にたどりつき、団地の地下とかとんでもない場所にある劇場の場合は「ここでいいんだよなー。。?」と首をひねりながら劇場の周囲をぐるぐるさまよったこととか、懐かしく思い出す。

PC遠隔操作事件や、将棋電脳戦とか、事件のことについて書いているのが、自分の記事ながら意外と面白い。
これも、単純に事件のことを書いて、犯人を糾弾したりして義憤をぶちまけ、溜飲を下げるというのではなくて、その事件を自分はどう理解したのか、そんな事件が起きる社会の中で自分はどう生きていくのか、という問いかけを書くようにはしている。

政治のことも書いている。
ぼくは、政治のことばっかりブログなんかに書いている人が苦手だが、読み返してみると自分もそういうブログになっている。
でも今年はしょうがないよ。
2015年に毎日パソコンに向かって文章を書いている人で、政治のセの字も書いていない人がいたら、どうかしてるぜと思う。
これも、単純にアベさんのことをけなしていれば偉くなったような気がするというだけではダメだ。
なぜ自分がそう思うのかが重要だと思う。
ぼくはかくれもないリベラル派であって、今年は国会前のデモにも行った。
多くのお年寄りや若い人が、声を枯らす様子も、それを凝視している警官の群れも、焼けつくような記憶として残っている。
それを書き残して良かったと思う。

睡眠時無呼吸症候群についてや、今年の1月に緊急入院したことについても書いてよかった。
最初は、医者でも医学博士でもないのに病気のことなんかについて文章を公にするのは自分でも疑問に思ったのだが、これこそ、究極に個人的な文章が必要な場面だと思う。
街で売っている健康の本(病気の本)は偏っている。
一冊一冊は悪気がないのかもしれないが、ある一冊の本を真に受けて心酔してしまうと、あぶない。
これも、何回も書いているようだが、自分の場合どうだったか、なぜ自分がそう思ったのかを書いておくべきだ。

たとえば、入院した病院でパラマウントベッドを使うときは、起き上がったりテレビを見たりする必要がなくても「カインド」という機能を使って、自分の体に合わせてある程度ベッドを起こしてみるといい。
寝心地がぜんぜん違うのである。
知ってましたか。
もし3日早く知っていたら、ぼくの人生でも1、2を争うほど苦しめられた固いベッドの寝心地が、ぜんぜん違ったと思う。
4年間、1000回ブログにいろいろ書いてきたが、このことだけでも世に広く伝えたいと思う。
こういう、ちょっとしたことは意外と、何の本を読んでも出て来ないから、そういうことを書いていきたい。

これからも、飽きないかぎり思いついたことを、自分に取っての理解ということで書いていきたい。
とか言って、ちょっとでも辛くなったらすぐやめちゃうかもしれないけど、その場合はゴメンナサイ。
これからもご愛読お願いします。