一年の計は元旦にありという。

Hatsumode - Arashi
ぼくはアナーキーというか、大人気ないというか、ロックンロールな性格なので「国境をまたいだからと言って人間が変わるわけはない」というのと一緒で、「12月31日が1月1日になったところで人間に何か影響するわけがない」と思っていた。
しかしよくよく考えると、やはり、影響する。

毎日日が昇り、日が沈む以上、1日という区切りはどうしようもなく人間を支配する。
いくらあらがっても、自由人を気取ってもしょうがない。
同様に、春夏秋冬の季節が巡り、社会全体がそれに合わせて動いている以上、自分という人間も年の区切り、月の区切りに支配される。
また、仕事やレジャーの計画をするには、どんな自由人であってもある程度の区切りは必要であり、だったら社会が決めた区切り目が用意されてるんだから、それに従った方が楽なのである。
「こんなところで個性を出しても仕方がない」のだ。

まあ、連休に一斉に休んだり、盆暮れに一斉に田舎に移動して、休み明けに都会にまた一斉に戻り、渋滞の車の中で多くの時間を過ごすという世間の人の習慣は、改善の余地があるだろう。
あと、朝9時にタイムカードを押さなければ評価が下がり、逆に9時に押しさえすれば机で寝ていても無駄話をしていてもいいという植木等的なサラリーマンのあり方も、改善の余地がある。
知らない同士でぎゅう詰めになっている通勤電車というのは、絶対にいろいろ工夫してやめた方がいいよ。
そういう、個々の点で変えた方がいい点は社会の方にも多々あるが、とりあえず朝は起き、夜は寝、週、月、年の単位で行動を区切るという社会の習慣は、どんなプー太郎であっても緩やかに遵守した方が何かとラクだということに、ここに来て気づいた。

さて、「一年の計は元旦にあり」の件に戻るが、この諺は、「一年の計はその前の年の年末にあり」という風にした方がいいのではないか、と思った。

一日のうち、朝は能率が上がる。
睡眠で体の疲れが取れているし、脳内のメモリー空間に余計なゴミが溜まっていない。
精神的にも真面目で、やる気満々だ。
こういう時に、書類を探したり、文房具を探したり、どの服を着るか迷ったり、「何をすべきか」考えている時間はもったいない。
準備、ダンドリ的なことは、ルーティンで決まっているので、前の日の夜にダラダラした脳であってもできる。
夜のうちにToDoリストを書いて、パソコンのソフトをセットアップし、道具も用意し、着る服を用意し、遠足の前の日のようなワクワクした気持ちで寝る。
翌朝、服を着替え、ToDoリストにしたがって、いきなりトップスピードで仕事に取り組めば、朝の清新な気持ちの自分を、最大限に堪能できる。

余談だが、エコには反するけれども、パソコンは起動しっぱなしの方がいいような気がする。
朝、起き抜けにパソコンを起動して「Windows10に更新があります!」とか「Adobe Flashに更新があります!」とか言われたら、最悪だからだ。

閑話休題、ということで、一日の計は前の日の夜に決まる。
前の日の夜に、しょうもない準備作業を、完全ではなくてもある程度やっておけば、朝の能率が変わるのである。

同じことが、一年というサイクルにも言えるのではないか。
ぼくは最近、年の終盤になってから、なぜかいろんなことにやる気が出てきて、体調もすこぶるいい。
「来年(2016年)こそ本気を出す」と、思っている。
ていうか、本気を出さないと、おいらいろいろヤバい。

でも、2016年をトップスピードでスタートするためには、2015年中に準備、ダンドリを終わっておいて、2016年に本気を出している自分を、可能な限り具体的に描けるようにしておいた方がいい。
と、いうことに、12月14日の今日気づいた自分を自分でほめたいと思う。
よくそこに気づいた!
こういうところが最近のおいらは一味違うよ!
(なんだこのブログ…)

ということで、もっと具体的なことを今日は書く予定だったのだが、概念編のみでひとまず項を区切る。