見るだけで不愉快で、このブログ経由で見させるのは迷惑だろうから、リンクは貼らないが、最近「電通報」というブログで、「激ヤバスマホ広告」というテクノロジーが公開された。

Inside ad block 2
(※写真と内容は関係ありません)
これまでは「画面の下の方でピコピコ」やっていたスマホ広告を、ブログの記事の上でも展開できるようにしたと言う。
そのブログの記事を読んでいると、画面の上にロボット掃除機が現れ、画面上を動きまわった。
そのうち、そのブログの筆者であるという30代の男性が、スマホの向こうから画面に息を吐きかけ、画面が水滴で曇っていく、というデモもやっていた。
不愉快この上ない。

見も知らぬ中年の男性に息を吐きかけられる、という不愉快さもさることながら、そもそもコンテンツが見えなくなる。
そんな行為を許した覚えはないのである。
増えたトラフィックに関する通信料もこっち持ちである。

少しも面白くないし、不愉快この上ない。
邪魔でしょうがない。
広告主にも、メディアにも、不快感しか持たないから、広告効果はまったく得られないと思う。
嫌われる効果しかないと思う。
やめて欲しい。

iPhoneではiOS9で、デフォルトのブラウザーSafariで、広告ブロックが可能になった。
もともとPCのブラウザーでは、広告ブロックが可能だった。

これが論議を呼んでいる。
興味深いのが、アドブロックを批判する意見が、匿名の一般庶民側からも強く起こっていることだ。

アフィリエイトやなんかで広告を出しているからだろうか。
でも一般庶民でアフィリエイトで儲けている人、儲かっていると言える人がそんなにいるとは思えない。

こんなブログにもアフィリエイト広告を載せている。
最初はAmazonのギフト券が5千円とかもらえた月もあって、ガハハと思っていたのだが、年々、アクセス数はそんなに減っていないのにどんどん実入りが減ってきた。
Amazonが一方的なルール変更で料率を変えていること、そしてアドブロックを有効にして広告を見なくなっている人が多いのだろう。

ではなぜ広告賛成の人が多いのかというと、そもそも広告がないと今のWebが成り立たないということを理解している現実的な意見が多いのではないだろうか。
「広告を見ないでWebを見る人はただ乗りである」という批判である。

つまり、広告を見るのは、Webで興味のあるコンテンツを読むためのお駄賃である。
民放テレビと一緒だ。
たまには面白い広告もやっているかもしれないし、欲しい製品サービスをオファーしてくれるかもしれない。
でもそれを入り口でブロックしちゃったら、そもそもWebというものじたいがなくなってしまって、それは消費者側の不利益ではないか、ということだ。
なるほど、とも思う。

それにしてもインターネットの広告は、ゲスいのが多い。
ぼくがこのブログのアフィリエイトの設定をしていたとき、最初に戸惑ったのは「表示したくない広告」を大量に設定しなければならないことだ。
エロい広告、ゲスい広告というのは、世の中に溢れている。

特にスマホ版がひどい。
なんでなんだろうか。
イメージのいい企業や、お金を持っている企業は、Webに出稿しないのだろうか。
だから、ユーザーが見たくない、不快な広告を出しそうな、ゲスい広告が吹き溜まっているとしたら、不幸な状況だ。

Web広告を見たくなければ、広告無しの有料バージョンを提示しますよ、という企業も増えている。
コンテンツ提供者サイドのアドブロックだ。
つまり、広告とは、消費者に不愉快を与えるものである、という認識を、ユーザーだけでなくコンテンツ提供者も共有しているということになる。
俺に品物の広告を見せてもらいたくなければ俺に金を払え。
考えたらすごい話である。

でももともと広告は、見て楽しいものでもあるはずだ。
YouTubeでは懐かしいCMをコンテンツとして流してい、結構なアクセス数を稼いでいる。
わざわざCMを見たい需要というのは一定にある。

見たいから見に行く、というプル型の情報だけでは、やはりつまらない。
こんな情報どうですか、こんな表現どうですか、と、チラッと見せてもらうのは、楽しいし生活にうるおいを与えてくれる。
しかしそれは、こちらの生活を邪魔しない、気分を害さないという前提条件あっての話である。
暴力的に「俺の歌を聞け」というジャイアン的なのは勘弁してもらいたい。

広告、アドブロックに関する考えをまとめる。
一般論として、広告を表示することは、テクノロジー的に可能で、法的に許される限り、表示するのは勝手だ。
でも、それをブロックするのも、同様の理由で可能である。
モラルの問題でも、マナーの問題でもない。

でも、現実的な落としどころとしては、ウザイ表現、暴力的なコンテンツはサイト単位でブロックできるようにし、おとなしい表現、自分に役立つ広告は、あるていど進んで見るようにする、ということか。
Facebookはひどいサイトばっかり見せてくるが「この広告は見たくない」と言うと、別の広告を出してきて、だんだん自分ごのみの感じになってくる。
しょせん見たくない広告はクリックもしないわけで、成約もしないんだから、それぐらいがいい落とし所じゃないのか。
とりあえず中年男に水っぽい息を吐きかけられるのはカンベンカンベンだ。
くだんの電通の人も「こんなひどい広告を見せられたくはあるまい!」という、体を張って警鐘を鳴らす意味であえてああいう表現にしたのかもしれないが。