エアコンが好き、嫌い、エアコンはいい悪いという話があるが、ぼくの場合「なしでは生きていけない」方だ。
まあ、太っていて、肉襦袢いちまい人より多くまとっているからしょうがない。
原発事故があって、節電のためにエアコンを使わないでおこうというムーブメントがあった。
だが、一説によると、エアコンは、24時間、点けっぱなしで、切らない方が電気を使わないという。
温度設定は少し高めの28度にし、風量は「弱」でも「強」でもなくて「自動」がいいそうだ。

要は、エアコンは立ち上がりの時、部屋中の熱い空気を冷やすのに一番電気を使う。
いったん定常状態になれば、それほど電気を使わないということらしい。

やってみた。
ちなみに28度は少しぼくには暑くて苦しいので27度にしていた。

7月、8月と点けっぱなしだったのだが、付けたり、消したりしていた6月よりも二千円増しぐらいで収まっている。
まあ、だから節電になった、という意識はないのだが、点けっぱなしだと劇的に電気代が上がる、ということはなかった。
だったら真夏の帰宅時の暑さをこらえたり、調整に気を使ったりしなくて済むぶん気がラクかなとも思った。

「エアコンは付けっぱなしが最も節電できて経済的」など猛暑のためのエアコン小ネタまとめ | BUZZAP!(バザップ!)

面白いのが、毎年悩まされるいわゆる冷房病にならなかったことだ。

例年は、真夏の暑い日に帰宅すると、空気がサウナのように加熱している。
ここから一気に冷やすために、24度の「強」とかに設定する。
で、冷風を浴びながらうたた寝してしまって、心身冷えきってしまう。
これで具合が悪くなってしまうのだ。

27度「自動」で点けっぱなしの場合、エアコンが強風を発するということがない。
最近のエアコンは良く出来ていて(大家さんが去年最新のに替えてくれたこともあるだろうが)、昼間でも驚くほど静かである。
常に秋のような爽やかさだ。

メーカーは「点けっぱなしにする設計にはなっていない」と言っているそうだが、電気代がそんなに変わらなくて快適であれば、そういう設計のエアコンを作ってみるのも一案ではないだろうか。
ま、部屋の断熱性によって点けっぱなしが節電になるかどうかは変わるだろう。

ちなみに、効率だけを言えば、冬の暖房もエアコンが一番いいという。

エアコン「暖房に不向き」はウソ 正しく使い最強の省エネ  :日本経済新聞

ヒートポンプは、電気を熱に変える必要がないから効率的だとのことだ。
ほんとかなー。

ただ、暖房は冷房と違って、暖かい空気は上に貯まるので、上についているエアコンは不利だ。
部屋全体を暖めるのに効率が悪いし、頭の方が暖かくなってのぼせてしまう。
空気を循環させる扇風機(サーキュレーター)を合わせて使えばいい。
ぼくは石油やガス式の暖房が苦手で、毎年オイルヒーターで目の玉が飛び出るほどの電気代を使っているので、今年はエアコンに挑戦してみよう。

もう一つエアコンの話題で興味を惹いたのが、お年寄りがエアコンを使わないで熱射病になる理由という記事だった。

高齢者がエアコンを使わなくなる一つの理由、「冷気が嫌いだから」の言葉の裏には - 【ネタ倉庫】ライトニング・ストレージ

要はリモコンがどこかに行ってしまったり、リモコンの操作が難しかったりするので、エアコンを操作できないが、それを正直に言うのが恥ずかしいので「冷房は体に悪い」、「エアコンの風は嫌い」の一点張りで熱射病になるのではないだろうか、という推察だ。

そんなこともあるだろうと思う。

電気製品は年々難しくなっている。
ぼくが驚くのがビデオの予約録画で、毎年難しくなる。

エアコンのリモコンは、それほど難しいという気はしないが、冷房、除湿、暖房、なんとかイオン、温度、上下風向、風量、内部洗浄、入タイマー、おやすみ切というボタンがあって、なるほど難しい人には難しかろう。

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だいたい冷房と暖房と除湿が分かれているのは不合理に思える。
温度設定だけでいいはずだ。
それより寒かったら暖房に、暑かったら冷房に、機械の方で判断して変えてくれるべきだ。

まず、24時間つけっぱなしで大丈夫という設計にするべきだ。
あるいは、人が部屋にいるとき(センサーで感知する)だけ冷やす。
人が増えると、体熱で気温が上がるから、それを感知して冷やすべきだ。

すると、リモコンは「暑い(冷やしてください)」、「寒い(温めてください)」という2つの選択肢でOKなはずだ。
温度の高い低いは人によって好みがあるから、そこは調整可能にする。
暑がりの人は暑いボタンを連打する。

リモコンをなくす問題だが、手元のリモコンの他に、昔のような有線で備え付けのリモコンや音声コントロールも備えて欲しい。
あるいは、スマホの音声システムに声を掛ければ温度が変わってもいいと思う。
いくらでも改善の余地がある。

あとまあ、ぼくが近々年をとって、若い人が作ったシステムがわけがわからなくなったら(もうそうなりつつあるが)素直に「これどうなっているのかい」と言えるような自分でありたい。