最近、都合で、いろんな書類にハンコを押さなければならなくなった。

前もって役所に必要な持ち物を聞いてから出かける。
でも役所は色々なところに分散していて、いずれも初めての土地なので道に迷ってしまい、結局4枚書類をもらうつもりが1枚しかもらえなかったりする。
結構たいへんだ。
ある書類をもらうために「深澤さんの認め印の他に、黒田さん(仮名)の認め印も持って来てくださーい」と言われることがあった。
耳を疑った。
「判子屋さんで『黒田さんの認め印ください』と言って、それを買って、持っていけばいいですか」と言うと、「それでいいでーす」と言う。
へー。
そういえば1月に入院したときに、姉がぼくに代わって高額医療費の申請に言ってくれた時も「深澤さんの(ぼくの)認め印持ってきて下さい、あっでもお姉さまですから同じのでいいです」というやりとりがあったのを思い出す。
結局町の判子屋さんで黒田さんの判子と、深澤の判子を買った。
判子屋さんも同じ人が2つの苗字の判子を買うことに、何の疑問も持たないし、身分証を見せるように要求もしてこない。
余談だが(こんなブログ全編に渡って余談のようなものだが)、認め印は一番安い、店先のクルクル〜と回転する入れ物に入っている判子から探した。
最初、黒田さんのところに九鬼さんというのが間違って入っていて、うっかりそれを買うところだった。
いちおう確認して、間違いが分かったので、店のおばちゃんに言って正しい黒田さんの判子を出してもらった。
これ、もしぼくが気づかずに、そのまま九鬼さんの判子を押すと「これ黒田さんじゃなくて九鬼さんですね」と役所の人に見とがめられて、申請が受理されないのであろうか。
でも認め印じゃなくて立派な判子だと、色々な書体になっていて、とても元の字が分からないものがある。
(どっちが歴史的に「元の字」であるかは分からないが)
つまり、どの印形をどの苗字にマッピングするかは使う人の勝手で、うちは九鬼と書いて黒田と代々読むんですよ、と言い張ればいいはれるのであろうか。
あるいは、あの立派な判子のぐにゃぐにゃ〜という文字も当然黒田なら黒田、九鬼なら九鬼という苗字の字のバリエーションなので、役所の人が一目見ればわかるのだろうか。
それとも、判子屋さんの店先にクルクル〜と回っているような安物の認め印であれば、どんな字であるかハッキリ分かるから、かえってちゃんと合っている字でなければならないが、大きな立派な判子のぐにゃぐにゃ〜という字であれば別にどの字をどの苗字に対応させようが勝手であるし、役所もチェックのしようがないのであろうか。
であれば、ちょっと難しいっぽいぐにゃぐにゃ〜としたハンコを持っていけば、どんな苗字でも通用してしまうのではないか。
あるいは、印鑑証明のない認め印は分かりやすい字形のものを使うこと、という決まりがあるのだろうか。
ともあれ、認め印がみとめられる局面では、判子屋さんである苗字の認め印を買えば、誰でもその人の意志を代表できる。
じゃあ役所に、ズラーッと日本中の、珍名奇名さんを含むありとあらゆる名前を彫った認め印を置いておいて、それを貸してくれればいいのではないか。
3Dプリンターでオンザフライで作って、終わったら返して樹脂に分解してもらってもよい。
これでも結果はまったく同じではないか、と思うが、それではいけないらしい。
(3Dプリンターで判子を作って2Dの書類に押印するのも変な話だが)
判子屋で認め印を買って、押す。
その儀式に何らかの意味があるのであろう。
むかし巨大なメーカーの地下室に最新型のコピー機があった。
部単位で、たとえば10ページの書類であったら10ページごとに書類を並べて、端っこをホチキス止めにして積み上げてくれる。
それはいいんだけど、その書類の表紙にいちいち部長かなんかのハンコを押してくれるのだ。
コピー機にハンコを入れる部分があって、その中にハンコをセットすると、コピーするたびに自動的に表紙にハンコを押してくれる。
これすごくないか。
ハンコというものの限りない儀式感と、その儀式を限りなく文明の力で省力化しようという迫力を感じた。
認め印でなくて実印であっても、銀行届け印であっても、しょせんハンコであるから偽造はできる。
偽造しなくても、ハンコなんてしょせん通帳と一緒に家にコロンと置いてあるので、盗みだして使うのはカンタンだ。
だからハンコはあまり文明的ではなく、ぼくはサインだよ、という人もいるだろう。
銀行の届け印もサインに出来る場合が多い。
ぼくもメインの口座はサインにしている。
実際、ハンコなんか使わない外国人の人はサインに出来ないと困るだろう。
だが、去年入会したスポーツクラブは「認め印を使って口座を開設した銀行でないと認めない。お金を回収する業者の書類にハンコを押さないといけないから」と言い張っていて、結局そのお金を振り込むだけのためにふだんとは別の口座を使うことになった。
ガラパゴスだ。
サインはサインで、さいきん気になることがある。
クレジットの支払いなどで、液晶に指でサインさせられるのだ。
アップルストアの修理受付がそうで、例のジーニアスというポロシャツを着た兄ちゃんがiPhoneを差し出して、この画面に指でサインしろという。
iPhoneの画面に指でサインしたことありますか。
無理だ。
全然ふだん使っているサインにならない。
変な図形になるのである。
それで契約が成立する。
あれ、本当に大丈夫なのであろうか。
iPhoneの画面に指でぐにゃぐにゃ〜と書くぐらい、だれでも出来そうである。
でも、ちゃんと分析すればぼくの筆跡になっているのであろうか。
それとも、何らかの図形さえあれば手続き上は問題ないということか。
でも役所は色々なところに分散していて、いずれも初めての土地なので道に迷ってしまい、結局4枚書類をもらうつもりが1枚しかもらえなかったりする。
結構たいへんだ。
ある書類をもらうために「深澤さんの認め印の他に、黒田さん(仮名)の認め印も持って来てくださーい」と言われることがあった。
耳を疑った。
「判子屋さんで『黒田さんの認め印ください』と言って、それを買って、持っていけばいいですか」と言うと、「それでいいでーす」と言う。
へー。
そういえば1月に入院したときに、姉がぼくに代わって高額医療費の申請に言ってくれた時も「深澤さんの(ぼくの)認め印持ってきて下さい、あっでもお姉さまですから同じのでいいです」というやりとりがあったのを思い出す。
結局町の判子屋さんで黒田さんの判子と、深澤の判子を買った。
判子屋さんも同じ人が2つの苗字の判子を買うことに、何の疑問も持たないし、身分証を見せるように要求もしてこない。
余談だが(こんなブログ全編に渡って余談のようなものだが)、認め印は一番安い、店先のクルクル〜と回転する入れ物に入っている判子から探した。
最初、黒田さんのところに九鬼さんというのが間違って入っていて、うっかりそれを買うところだった。
いちおう確認して、間違いが分かったので、店のおばちゃんに言って正しい黒田さんの判子を出してもらった。
これ、もしぼくが気づかずに、そのまま九鬼さんの判子を押すと「これ黒田さんじゃなくて九鬼さんですね」と役所の人に見とがめられて、申請が受理されないのであろうか。
でも認め印じゃなくて立派な判子だと、色々な書体になっていて、とても元の字が分からないものがある。
(どっちが歴史的に「元の字」であるかは分からないが)
つまり、どの印形をどの苗字にマッピングするかは使う人の勝手で、うちは九鬼と書いて黒田と代々読むんですよ、と言い張ればいいはれるのであろうか。
あるいは、あの立派な判子のぐにゃぐにゃ〜という文字も当然黒田なら黒田、九鬼なら九鬼という苗字の字のバリエーションなので、役所の人が一目見ればわかるのだろうか。
それとも、判子屋さんの店先にクルクル〜と回っているような安物の認め印であれば、どんな字であるかハッキリ分かるから、かえってちゃんと合っている字でなければならないが、大きな立派な判子のぐにゃぐにゃ〜という字であれば別にどの字をどの苗字に対応させようが勝手であるし、役所もチェックのしようがないのであろうか。
であれば、ちょっと難しいっぽいぐにゃぐにゃ〜としたハンコを持っていけば、どんな苗字でも通用してしまうのではないか。
あるいは、印鑑証明のない認め印は分かりやすい字形のものを使うこと、という決まりがあるのだろうか。
ともあれ、認め印がみとめられる局面では、判子屋さんである苗字の認め印を買えば、誰でもその人の意志を代表できる。
じゃあ役所に、ズラーッと日本中の、珍名奇名さんを含むありとあらゆる名前を彫った認め印を置いておいて、それを貸してくれればいいのではないか。
3Dプリンターでオンザフライで作って、終わったら返して樹脂に分解してもらってもよい。
これでも結果はまったく同じではないか、と思うが、それではいけないらしい。
(3Dプリンターで判子を作って2Dの書類に押印するのも変な話だが)
判子屋で認め印を買って、押す。
その儀式に何らかの意味があるのであろう。
むかし巨大なメーカーの地下室に最新型のコピー機があった。
部単位で、たとえば10ページの書類であったら10ページごとに書類を並べて、端っこをホチキス止めにして積み上げてくれる。
それはいいんだけど、その書類の表紙にいちいち部長かなんかのハンコを押してくれるのだ。
コピー機にハンコを入れる部分があって、その中にハンコをセットすると、コピーするたびに自動的に表紙にハンコを押してくれる。
これすごくないか。
ハンコというものの限りない儀式感と、その儀式を限りなく文明の力で省力化しようという迫力を感じた。
認め印でなくて実印であっても、銀行届け印であっても、しょせんハンコであるから偽造はできる。
偽造しなくても、ハンコなんてしょせん通帳と一緒に家にコロンと置いてあるので、盗みだして使うのはカンタンだ。
だからハンコはあまり文明的ではなく、ぼくはサインだよ、という人もいるだろう。
銀行の届け印もサインに出来る場合が多い。
ぼくもメインの口座はサインにしている。
実際、ハンコなんか使わない外国人の人はサインに出来ないと困るだろう。
だが、去年入会したスポーツクラブは「認め印を使って口座を開設した銀行でないと認めない。お金を回収する業者の書類にハンコを押さないといけないから」と言い張っていて、結局そのお金を振り込むだけのためにふだんとは別の口座を使うことになった。
ガラパゴスだ。
サインはサインで、さいきん気になることがある。
クレジットの支払いなどで、液晶に指でサインさせられるのだ。
アップルストアの修理受付がそうで、例のジーニアスというポロシャツを着た兄ちゃんがiPhoneを差し出して、この画面に指でサインしろという。
iPhoneの画面に指でサインしたことありますか。
無理だ。
全然ふだん使っているサインにならない。
変な図形になるのである。
それで契約が成立する。
あれ、本当に大丈夫なのであろうか。
iPhoneの画面に指でぐにゃぐにゃ〜と書くぐらい、だれでも出来そうである。
でも、ちゃんと分析すればぼくの筆跡になっているのであろうか。
それとも、何らかの図形さえあれば手続き上は問題ないということか。