今日、いわゆる疑似科学、陰謀論、トンデモ批判で知られる作家の方のツイートを読んでいて、感銘を受けた。


ぼくの責任で要約すると、要するに「トンデモさんは思っていることをテキトーに書けばいいので、制作費は安く上がるし、短時間で大量に書ける。一方、懐疑主義でそれを批判する側は、調査しなければならないし、きちんと書かなければならないから、儲からない。疑似科学批判を「弱いものいじめ」と言うのは間違いだ。懐疑側の方が、弱い」というものである。
これは、疑似科学的な言説が流布されて、間違った医療を受ける人(ちゃんとした医療を拒否する人)などがいて、助かる命が助からなかったり、節約できるお金がドンドン濫費されて、実害が出ているのに、なぜ権威のある科学者サイドはきちんと反論しないで放置するのか、という批判に応えたものらしい。
科学の役割は、天地の真理を究明することであると同時に、実際に困っている人を助け、広く一般の人の生命の価値を上げることであろうから、曲学阿世の徒がはびこって、命や金が無駄になることを防ぐ責任も、科学者にはありそうである。
実際には、科学者は、対トンデモの戦いをあちこちで行っている。
ほんらい楽しい研究や授業を行うべき時間を犠牲にしているし、一定の成果も上げている。
だから、「科学者はトンデモを放置している」という言説もまた極論であって、一種のトンデモであると言える。
しかしながら、そのような言説が出てくるとすれば、あまりにもトンデモさんが派手に活躍していて、その活躍の様子が目に見えているのに対し、迎え撃つマトモさん(?)の活動が、発言の正確さや、不要に一般の人の人格を傷つけないような慎重さに配慮するために、地味で、非力な印象を受けるからだろう。
そもそもトンデモさんは、実は専業のプロが多く、バンバン本を書けば金が儲かるからやっている。
一方マトモさんは、トンデモ排撃はボランティアで、本職の合間に手弁当でやっているから、どうしても弱い。
日本にもアシモフのような面白いマトモさんで、それ中心にお金を儲けるような人が出てきて欲しいところだ。
トンデモさんが不当に強い理由には、上に書いたように「トンデモさんはテキトーなことをバンバン書けばいいから生産性が異常に(不当に)高い」ことの他に、トンデモさんの方は相手の人格攻撃をバンバン行って恥じない、ということがある。
一方マトモさんは常識人で、専門家としての立場や一般の人の気持ちを傷つけないように慎重に発言せざるを得ない。
この点においても分が悪そうである。
また、庶民感情としてもインテリは分が悪い。
これは、金儲けをしようとする人の評判が悪いのと一緒で、庶民はどうしようもなく判官びいきなので、「正論ぶるのが正しいとは限らない」という矛盾した感情を持つ。
数学オリンピックなどが開催されるように、学問も本来運動どうよう楽しくてしょうがないものであってしかるべきだが(とかいってぼくはそんなに真面目に勉強したわけでもないので本当のところはよく知らないが)マンガやアニメには「勉強はからっきしだけど運動が得意で、ケンカに強くて人情に厚い」という少年が判で押したように出てくる。
だいたい「ケンカに強くて人情に厚い」やつとかそんなにいるか?
ケンカに強い(他人を躊躇なくぶん殴る)やつは人情に欠陥がある可能性が高いのではないか。
ところがマンガやアニメにはそういうキャラクターが頻出する。
これは子供だましとは限らなくて、大人向けのドラマや時代劇にも「銭勘定には弱いけど義侠心に厚い正義のヤクザ」などというありそうもない主人公が出てきて世直しをする。
じゃあ子供は勉強をしない方がいいか、大人は金儲けをしない方がいいかというと、した方がいい。
自分が幸せになれるだけでなく、その身につけた力を世のため人のために尽くすこともできるのである。
勉強が出来る人、お金を持っている人が社会に貢献した例の方が、その逆より明らかに多いだろう。
しかるに勉強好きは、お金好きどうよう忌避される。
これは庶民感情だけの問題ではなくて、政府や文科省、曽野綾子のような人は、なるべく教養を庶民に与えないようにしよう、庶民がなるべく教養を憎むように仕向けようとしている節さえある。
あと、テレビにはマトモさんは登場せず、トンデモさんばかりがショーアップされる。
アスリートが競技で活躍するように、マトモさんの科学者が普通に実力を発揮するところも見たいと思うが、見られることはまれである。
このように不公平な戦いがあり、危機感を覚える。
これは、疑似科学的な言説が流布されて、間違った医療を受ける人(ちゃんとした医療を拒否する人)などがいて、助かる命が助からなかったり、節約できるお金がドンドン濫費されて、実害が出ているのに、なぜ権威のある科学者サイドはきちんと反論しないで放置するのか、という批判に応えたものらしい。
科学の役割は、天地の真理を究明することであると同時に、実際に困っている人を助け、広く一般の人の生命の価値を上げることであろうから、曲学阿世の徒がはびこって、命や金が無駄になることを防ぐ責任も、科学者にはありそうである。
実際には、科学者は、対トンデモの戦いをあちこちで行っている。
ほんらい楽しい研究や授業を行うべき時間を犠牲にしているし、一定の成果も上げている。
だから、「科学者はトンデモを放置している」という言説もまた極論であって、一種のトンデモであると言える。
しかしながら、そのような言説が出てくるとすれば、あまりにもトンデモさんが派手に活躍していて、その活躍の様子が目に見えているのに対し、迎え撃つマトモさん(?)の活動が、発言の正確さや、不要に一般の人の人格を傷つけないような慎重さに配慮するために、地味で、非力な印象を受けるからだろう。
そもそもトンデモさんは、実は専業のプロが多く、バンバン本を書けば金が儲かるからやっている。
一方マトモさんは、トンデモ排撃はボランティアで、本職の合間に手弁当でやっているから、どうしても弱い。
日本にもアシモフのような面白いマトモさんで、それ中心にお金を儲けるような人が出てきて欲しいところだ。
トンデモさんが不当に強い理由には、上に書いたように「トンデモさんはテキトーなことをバンバン書けばいいから生産性が異常に(不当に)高い」ことの他に、トンデモさんの方は相手の人格攻撃をバンバン行って恥じない、ということがある。
一方マトモさんは常識人で、専門家としての立場や一般の人の気持ちを傷つけないように慎重に発言せざるを得ない。
この点においても分が悪そうである。
また、庶民感情としてもインテリは分が悪い。
これは、金儲けをしようとする人の評判が悪いのと一緒で、庶民はどうしようもなく判官びいきなので、「正論ぶるのが正しいとは限らない」という矛盾した感情を持つ。
数学オリンピックなどが開催されるように、学問も本来運動どうよう楽しくてしょうがないものであってしかるべきだが(とかいってぼくはそんなに真面目に勉強したわけでもないので本当のところはよく知らないが)マンガやアニメには「勉強はからっきしだけど運動が得意で、ケンカに強くて人情に厚い」という少年が判で押したように出てくる。
だいたい「ケンカに強くて人情に厚い」やつとかそんなにいるか?
ケンカに強い(他人を躊躇なくぶん殴る)やつは人情に欠陥がある可能性が高いのではないか。
ところがマンガやアニメにはそういうキャラクターが頻出する。
これは子供だましとは限らなくて、大人向けのドラマや時代劇にも「銭勘定には弱いけど義侠心に厚い正義のヤクザ」などというありそうもない主人公が出てきて世直しをする。
じゃあ子供は勉強をしない方がいいか、大人は金儲けをしない方がいいかというと、した方がいい。
自分が幸せになれるだけでなく、その身につけた力を世のため人のために尽くすこともできるのである。
勉強が出来る人、お金を持っている人が社会に貢献した例の方が、その逆より明らかに多いだろう。
しかるに勉強好きは、お金好きどうよう忌避される。
これは庶民感情だけの問題ではなくて、政府や文科省、曽野綾子のような人は、なるべく教養を庶民に与えないようにしよう、庶民がなるべく教養を憎むように仕向けようとしている節さえある。
あと、テレビにはマトモさんは登場せず、トンデモさんばかりがショーアップされる。
アスリートが競技で活躍するように、マトモさんの科学者が普通に実力を発揮するところも見たいと思うが、見られることはまれである。
このように不公平な戦いがあり、危機感を覚える。