もう同様の内容のブログは何本も立っていて、もっといい内容のブログもあるので、屋上屋上屋を架すという感じだが、ぼくの目で分かった出来事を、ぼくの解釈で書く。
大阪市の市長に橋下さんという人がいる。
もともと弁護士だったが、日本テレビ系「行列の出来る法律事務所」でテレビタレントになった。
のちに大阪府知事となり、日本維新の会を作り、その後大阪市長になった。

大阪都構想は、以下のような構想である。
 ・大阪の中にある大阪市を5つの特別区に割り、大阪府の直轄にする
 ・当初は大阪市の他に堺市も同様にしようと考えていたが、堺市の反対にあって断念
 ・ゆくゆくは神戸市なども大阪都に入れようとしていたとされる
 ・大阪府は大阪都とゆくゆくは名前を改める

こうすると何がいいのか。
 ・大阪府と大阪市が別々に大事業をやっていて無駄が多い(いわゆる二重行政)とされていて、それを解消する
 ・大阪都となって東京やソウル、上海などにも対抗できる大都市にしよう

今回「二重行政」という言葉がキーワードになっている。
これは橋下さんサイドが言い出した言葉で、「二重行政が悪い」と言うのは橋下さんの意見であることに注意したい。

同様の言葉に「ねじれ現象」がある。
これは「衆議院は自民党が与党なのに、参議院は民主党が与党だから、国会審議が時間が掛かる」ことを社会問題とした言葉である。
これも完全に自民党サイドの都合による意見である。

なぜ衆議院と参議院がねじれていたのか。
それは国民の意見が時間的、空間的に割れていたからだ。
意見が割れているんだから慎重に議論したい、だから両院でねじれよう、という考え方もある。
そもそも参議院はチェック機関である。
ねじれ現象が起きているおかげで、チェックが厳しく行われるという考え方もある。
効率を優先するなら一院制にすればいい。
なんなら議院内閣制も廃止して総理大臣の独裁体制にしてもいい。
うっかりするとアベさんはそうしたいと思っているかもしれないが、国民はもうちょっと慎重に議論して欲しいと思っているのではないだろうか。

しかし自民党は「ねじれ現象けしからん」と言い立てた。
それは確かに、自党の利益になることだから、愚かではあっても合目的的な発言である。
問題はマスコミまでが「ねじれ現象解消なるか」などと、あたかもこの現象が社会問題であることのように言い立てたことである。
これでは社会の木鐸なのか、権力者の広報部なのか分からない。
別にマスコミが自民党推しなわけではなく、単純に分かりやすいフレーズに飛びついているだけだと思うが、困った現象である。

「二重行政」も同様の言葉であって、「県と市に権力が分散しているから効率が悪い」という意見も成り立てば「県と市と二つの決定機関があるからキメ細かい行政が行われて安心」という意見も成り立つ。
効率優先が普遍の真理であれば、そもそもなぜ地方自治体なんか存在するの、ということである。
全部区に格下げして、国の直轄にすればいい。

神奈川県と横浜市のように、大きな県庁所在地と県は仲が悪い。
県庁所在地は大金を稼ぐから、行政の決定権もくださいよ、と思っている。
一方で県は「市のくせになまいきだ」と思っていて(?)ここに金と権力の綱引きがある。
横浜市は今回の大阪市廃止の動きとは逆に、特別自治市というものに格上げし、神奈川県から独立させてくださいよと言っている。
つまり、市のあり方に対する議論は複数あって、「大阪市廃止=>大阪府への権限移譲」は「時代の流れ」ではない。
大阪府と大阪市、両方オオサカだから分かりにくいが、これが「横浜市、川崎市、横須賀市を廃止し、特別区に分割して神奈川都直轄にします」と言ったら、横浜で暴動が起こると思う。
逆に大阪市を格上げして大阪府から権限を移譲するという考え方もあったのだ。
そうやっても「二重行政」は解消できる。
なぜ大阪市の廃止を、大阪市長が訴えるのか分からない。

大阪市廃止=>大阪都直轄は、東京市廃止=>東京都直轄を参考にしたものだと言われている。
東京市の廃止は戦時体制である。
いまは戦時なのであろうか。
うっかりすると戦時体制にしたいと思っている政治家や総理大臣がいるかもしれないが、なぜ不幸な時代の制度を踏襲しないといけないのだろうか。
東京都23区は権限の少なさに苦しみ続けた。
世田谷区長の保坂氏によると、佐賀・島根・鳥取・徳島・高知・福井・山梨よりも多い88万人を抱える世田谷区の区長が、一般の市町村長よりも権限が少ないそうだ。

「大阪都構想・住民投票」を世田谷から見つめると | 保坂展人

大阪市長の立場で大阪市の廃止を推進、横浜市長の立場で横浜市の格上げを推進、世田谷区長の立場で世田谷区の権限の少なさを案じて大阪都構想を危惧と、立場がそれぞれ違う。
橋下さんの問題提起は是としても、より深い議論が必要だ。

ところが橋下氏は議会での審議を打ち切り、住民投票を行った。
橋下氏は「僕は都構想の是非を住民が決めるべきだと思うが、議員は『議会が決める』と言っており、プロセスのところで対立している」と指摘。どちらの主張を支持するかを市民に問う住民投票の条例案を今会期中に提出するとした。
橋下氏、新たな住民投票を提案へ 協定書案否決への対抗策 - 産経WEST

議会制民主主義の否定である。

普通、市民は選挙で議員を決め、議員が議論して物事を決める。
これが議会制民主主義であり、間接民主制である。
昔は直接民主制で、市民全員の投票でなんでも決めた社会もあった。
古代ギリシャでは陶片追放と言って、市民の投票で好ましからざる人物の国外追放を決めたりしていた。

間接よりも直接の方がダイレクトに市民の意見が反映されていいような気がするが、昔は独裁政治や大衆迎合主義の悪影響で悲劇があった。
たとえばヒトラーは大変な民衆の人気があったのである。
その反省に基づいて文明国では間接民主制が多く取られている。
議会でワンクッションおくことで一人の雄弁家が市民を扇動してなんでも決めてしまうことを恐れたものだ。

人気者がなんでも独断専行でスピーディに決めるのはいいこととは限らない。
むかし橋下氏が大阪の小学生に「テレビばっかり見てたらあかんで」と言うと、「テレビがあったから政治家になれたくせに」と言い返された映像を見たことがあるが、テレビタレントがバンバン政治家になり、重要な事を決めたり、外国向けに暴言を吐いたりする世の中が、いいことかどうかは議論がある。

橋下氏は議会での議論を打ち切り、市民による直接投票で決めようとした。
彼は若いイケメンで、大衆の支持を取り付けているので、議会では負けても住民投票では勝つと思っていた。
だから、自分が不利な間接民主制での勝負は避け、有利な直接投票での勝負に持ち込んだのだ。
(市議会でも府議会でも大阪都反対が多数だったのが興味深い)

都知事と都議会や、アメリカ大統領とアメリカ議会など、しょっちゅう対立する。
これも先ほどの都道府県と市区長村の関係と一緒で、権力を巡って綱引きが起きるのだ。
綱引きが起きるから効率が悪い、という意見もあるが、綱引きをしなければならないほど住民の意見が割れている、綱引きは双方の意見を相互にチェックする必要なプロセスである、という考え方も出来る。

性急な改革を求める人は効率を追求する。
しかし間接民主制や、地方自治制度が出来たからには、その方がいいという長年の意見の蓄積があったはずである。
再びしかし、住民投票を実際に行うというところまでこぎつけたのであれば、橋下氏の意見は一定の説得力があり、合法な手続きで住民投票が開始したのだからその意義は尊重されるべきであろう。
さらにしかし、けっきょく住民投票で橋下氏は敗北した。
本来議会で決めるところを、議会からプロセスを奪い取り、住民投票だったら勝てると踏んで、条例まで作って投票を行って、負けた。
これはかなりバツが悪い。
好んで負ける試合に持ち込んだようなもので、やはりちょっと風を読む能力に欠けていたのではないだろうか。

あと、議会で通らない議事を住民投票マターにして住民の対立を煽り、マスコミのイメージ戦略で勝とうとするのがいいことかどうか、という問題提起にもなったと思う。

さて、今回の選挙では「若者は賛成していたが、老人が反対していた。シルバーデモクラシーで負けた」という意見がある。

シルバーデモクラシーに敗れた大阪都構想に、それでも私は希望の灯を見たい | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト

乗っている棒グラフがこれである。

2436ea9a


そうとうひどいグラフだ。
年代別にパーセンテージを調べている。
「20代」とか「70代〜」という人がいるわけではないのである。

たとえば、若者が10人、中年が20人、老人が30人いた組織で投票を行ったとしよう。
若者が70%の7人賛成、中年が60%の12人賛成したが、老人が70%の21人反対したので、否決になってしまった。
若者、中年の2者が賛成しているのに、老人という1者の意見だけが反映された!
老害ひどい!
若者に発言の自由はないのか!
人数が多いだけで発言権が多いなんて!
という意見である。

まず、普通に老人が多い社会であれば、老人の意見が尊重されてしかるべきであると思える。
グランドデザインは老人向けに設計された方が「効率的」だ。
若者向けの街にしてしまって、いちいち老人の手を引いて歩かなければならなくなったり、老人が街に出るのを億劫がってネタキリになってしまったら行政コストがどんどん高くなる。
若者もうっとうしいことが増えるのではないか。
老人が多い社会では、老人を立てるほうが、全体が幸せになれるのである。

ぼくも老人のはしくれだが、今の老人は昔と違って元気である。
現役で仕事をしているし、「おやじバンドコンテスト」などでロックの演奏をしたりしている。
そもそもなぜ高齢化社会になったか。
科学が進歩して医療技術が上がったからである。
だから今の老人は若くて元気だ。
数字上の老人人口が増えたからと言って社会全体の「若さ」が減衰したとは限らない。
100歳、110歳、120歳の人も増えていくから「60歳以上は老人」という区分けが昔も今も合理的とは限らない。

そもそも、なぜ人間を分割して対立を煽ろうとするか。
若者だって
「ぼくはお父さんのいうことよりおじいちゃんの言うことの方が共感できる」
「私は友達よりも地区の老人と遊んでいるほうが楽しい」
という人がいくらでもいるだろう。
国vs.国、学校vs.学校、会社vs.会社など、基本的に対立構造を煽って勝ち負けで論じる人が多すぎる。
人間は対立ではなく協力を基本とすべきである。

そして、上の意見は投票率を無視している。
人数ベースでは、老人が多いとは言えないという議論もある。

53

大阪都構想を葬ったのは「シルバーデモクラシー」ではない=若い世代の人口は70歳以上の2倍以上多い(井上伸) - 個人 - Yahoo!ニュース

もし若者のうち、投票に行かなかった3人は賛成であったとしよう。
しかし、遊びの都合を優先して投票にいかなかったとする。
中年も、40%の8人のうち7人は賛成だったとしよう。
これだと賛成は22人になるので、賛成多数で可決していたのである。
しかし、投票に行かなかった時点で「どっちでもいいです」という意思表示をしたことになるのである。

ぼくは投票率が高いこと必ずしも善だとは思わない。
遊びに行っていた若者は、「大阪都とか別にどうでもええやん」と思っていたかもしれないし「どっちの意見も分かるけど決められない」と思っているかもしれない。
「投票はお年寄りに任せる。自分は老人の意見を尊重する」とさえ思っているかもしれないのだ。
そう主張する権利もあるのが民主主義である。
まあ、民主主義についていろいろ考えるいい機会になって良かった。