最近ネイティブアドという言葉があるそうだ。
これは、インターネットに表示される、よりコンテンツに溶け込むタイプの新しい広告だそうだ。

Meiji AD Stacking (15123204660)
Web、インターネットを閲覧していると、さまざまな広告が当たる。
昔からあるタイプの広告は、バナー広告と言う大きなアイコンを押させるものだ。
よく揶揄されるのが「うわっ、私の年収低すぎ・・・」というやつだ。
興味があればクリックされるし、なければされない。

テレビやラジオ、新聞や雑誌の広告は、出せば出しっぱなしであって、見ている人、聞いている人が何人いるか分からない。
テレビで流しても、CMタイムにはトイレに行っているかもしれないし、雑誌に乗せても、買った人が無視しているかもしれない。
だが、バナー広告の場合、クリックされたかどうか、クリックした結果商品を注文したかどうかまで追跡できるから、ごまかしが効かない。
また、ユーザーの行動が監視されているので、ある広告をクリックすると集中的に似たような広告を表示されたりする。

最近このバナー広告があまりクリックされなくなっているという。
まあそうかなあ、と思う。
PCのブラウザーにも「広告を出さないようにする追加機能」などがある。
携帯のアプリも「追加料金を払えば広告を出さなくできます」とうたっているものがある。
この場合、広告は最初から邪魔者扱いである。
「広告さえ出してくれなければ金を払ってもいい!」とユーザーは思っているということだ。
逆に、アプリ開発者も、金を出させるための嫌がらせ機能として広告を援用している。
最初は無料で配っておいて、「金を出さなければ広告を出しちゃうぞ!」と言っている。

それで、広告屋さんは困って、「ネイティブアド」というものを開発したそうだ。
和製英語かと思ったが、ちゃんと「native advertising」という項目がWikipedia英語版にある。
(日本語版がない)

Native advertising - Wikipedia, the free encyclopedia

上記のWikipedia記事を読むと、要するに広告ではあるが他の記事と見た目の首尾一貫性がある、という意味だそうだ。
(nativeは現地の、ということだ)

たとえば最近Twitterに広告ツイートが入る。
広告ツイートは他のツイートと見た目が同じである。
(ただ「xxさんによるプロモーション」という文言が入って広告であることは分かるようになっている)
従来のバナー広告のように、Twitterアプリの表示画面の上下に独立した広告エリアがあるのではなく、他の人のツイートと同じレベル、同じフォーマットで広告が流れていく。
あれはあれでうっとうしいが、Twitter社もどこからかは資金を供給されないと立ち行けないし、流れて消えていくだけ、アプリに固定されたバナー広告よりマシであるとも言える。
面白そうな製品であればリツイートしたり、変な広告であれば突っ込んだりも出来る。
広告に批判的なコメントを付け加えて再放流出来る、というのは従来の広告では考えられないことだった。
でも、広告主もTwitterのユーザーである以上、そのリスクを甘受すべきであろう。
まあ利点欠点両方あるが、あれはTwitterにおけるネイティブアドである。

このネイティブアドに対して、業界で新しいガイドラインが出来た。

<ネイティブ広告>誤認防止で業界が指針策定 定義や表記定める (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

簡単に言うと「広告であることを明確にする」、「誰が出した広告であるかを明確にする」ということだ。
上に引いたTwitterの例では「xxさんによるプロモーション」と表示されているから、すでにこの条件を満たしている。

では、満たしていない例があるかというと、ある。
具体的に言うと一部のニュース記事だ。
「最近xxという問題があると言う! 傾向と対策とは」というタイトルで始まって、最後まで読むと「xx社の青汁を飲むと治る」みたいに書いてあるやつだ。

いわゆる記事広告というのは、ネットに限らず、昔からあった。
雑誌でも新聞でもそういう形の広告はあるが、一応「PR」と書いてある。
好きな文化人が面白いことを言っていたり、それなりにためになることが書いてあるから、それでも普通に読む。
問題は最近、広告であることをはっきり謳わずに広告を出す人がいるということだ。

これは単純に詐欺ではないかと思う。
雑誌にしろネットにしろ、ゼロから記事を書くにはある程度予算を組んでいる。
その予算は読者から徴収する購読料金であったり、別の広告の広告料金であったりする。
この場合は読者に有益な情報、そのメディアや執筆者の思想/発想を伝えて、対価としてお金を得ている。

しかし広告の場合は、製品を売る人がお金を出す。
で、その製品を売り込むために、その製品がいかにすばらしいかを読者に伝える。
つまり、非広告記事の顧客は読者であるが、広告記事の顧客は広告主企業である。

もともと「ぴあ」や「アルバイトニュース」、「ホットペッパー」のように、最初から最後まで広告というメディアは昔からあった。
これは最初から広告主、出版社、読者の関係が了解されており、それでも読者は役に立つ広告を探そうと思ってメディアを得る。
しかし「広告である」ということ、つまり「読者以外からお金を得ている」ということを、わざわざ隠して表示しているのは違う。
出版社や著作者が、あたかも社会的な意見を述べるようにして特定の商品を称揚していて、それを読者が知らずに読んでいる。
これは詐欺であると言われてもしかたないだろう。
読者が騙されて不利益にさらされるばかりか、他の真面目な記事を書いている著作者や編集者にとっても不利益である。
そのメディアの信用性、購読習慣にただのりして広告を出しているからだ。

そもそも、なぜ広告であることを隠すのか。
昔からCMは、最先端の商品を、最先端の手法で表現する場であった。
CM芸術というものが確立している。

わざわざ広告であることを隠さなければ表現出来ないというのは、逆に、自分たちが送出している広告がいかに不快と思っているかということの裏返しである。
たしかにネット広告は黎明期で、予算も低く、ゲスい企業が安い広告を出している場合も多い。
上に書いたように広告を非表示にするアプリもあるし、「広告を見せられたくなければ金を払え」と言ってくるアプリもあるぐらいだ。
ここには、広告はまず邪魔なものである、という考えが前提にある。

で、それをかいくぐって広告を行うために、わざわざ広告であること、お金をもらって記事を作っていることを恥じて、隠す。
これはどう考えても読者を馬鹿にした行為で、やめてもらいたい。
業界団体が自主的にそれを規制するのは歓迎すべきことだ。

広告であることを隠した広告、いわゆるステマというのは他の分野でも蔓延している。
ひどいのがテレビである。
芸能人がラーメン屋を食べ歩きしているところを番組にしている。
こっちを放置して、なぜネットのステマばかりを目の敵にするのかという意見もある。
しかし、テレビがひどいからネットもひどくてもいいということにはなるまい。
(最近はテレビ自体が見放されてきている)
ネットは必要な情報を能動的に得られる高度な技術であって、テレビよりもインテリジェントに発展する可能性がある。
わざわざ旧メディアの悪いところを取り入れて価値を下げることはない。

ぼくはこの記事を書くためにいろいろ検索して、勉強してわかったことだが、ネイティブアドとステマは違う。
ネイティブアドは、上に引いたようなTwitterの記事広告のような、メディアに溶け込むことで見た目に統一感を持たせる技術であって、それは読者側にも利益になる可能性がある。
ステマは広告であることを隠すことで、技術ではなくて信義の問題だ。
ネイティブアドであっても広告であると堂々と名乗りを上げるべきで、読んで欲しければ内容で勝負すべきだ。
ただネイティブアドがステマをやりやすくする技術である、という可能性はあるだろう。
くだんの自主規制はその危険性に歯止めを掛けたものだ。
放っておくと、宣伝を読まされているのか記事を読まされているのかわからない、そんな記事ばかりに当たる世の中になる。
それではメディア全体の信義が落ちて、テレビのように見放されてしまうだろう。