救急救命士さんにストレッチャーに載せられ、車中の人となった。
年齢、職業(=無職)などの人定情報と、朝からの病状と既往症(普段から掛かっている病気。ぼくの場合糖尿病と高脂血症)について聞かれた。
ところが、いろいろ聞かれているうちに、だんだん症状が軽快してきたのである。

「すみません、良くなって来ちゃったんですけど」と言うと「それは頭を下げて寝かせているからです。大量に失血して、失神されたんですが、頭に血を上げたので、意識がハッキリして来たんでしょう」と言う。
ナルホド。

希望の病院は特にない、というと、家から歩いて3分の大学病院から当たってくれた。
ここで救急救命士さんがぼくに「個室でもいいですか」と聞いてくる。
ぼくは薄れゆく意識の中で「個室は経済的に苦しいので、大部屋がいいです」と言うと「大部屋は、空いてないから受け付けられないそうです」と言う。

Philip IV of France lying in bed
個室とは差額ベッドのことである。
入院ができる病院には大部屋の他に、追加料金が1日8千円とか2万5千円とか掛かる豪華な部屋がある。
この追加料金を差額ベッド代と言うが、健康保険では賄われず、高額医療費制度の対象にもならず、税金の医療費控除の対象にもならない。
純然たる「贅沢な患者が自己都合で支払うオカネ」である。

差額ベッド代は、医療上特別な必要がある場合(特殊な装置を使う場合、感染性の病気の場合など)は請求されない。
お金持ちが、同じ部屋に誰かいると不安で寝付けない、という自分の判断で個室に入る場合は、差額ベッド代が請求される。

という、認識を持っていた。

しかしここでは、救急病院が「げんざい大部屋が塞がっているので、個室オーケーの患者さんでない限り受け入れられません」と言っている。
急患であっても、その場で追加料金を(どんな広さの、どんな豪華設備の個室が空いているかも分からないから、病院の言い値で?)払う、という決断を、薄れゆく意識の中で承諾したものだけが、病院で治療を受けられる、ということになる。
これはおかしい、と思ったので、第1の大学病院は断ってもらった。

ところが、意外なことが起こった。
「この患者さんは差額ベッド代がくるしいとおっしゃってるんですが・・・」という枕詞と共に救急救命士さんが電話でアタリを付けると、あっという間に7件ぐらいの病院に電話で断られたのである。
すべて同じ理由で、どの病院でも大部屋はいっぱい、個室でないとダメ、というらしい。
世の中そんなことになっていたのか・・・?
(その日だけだったのかもしれないが・・・)

ぼくは貧しく、カツカツで暮らしているが、数十万円の蓄えがないわけではない。
たとえ経済的に苦境に立たされても、死ぬよりはマシなので、どんな条件であってもその場では鵜呑みにし、あとでゆっくり交渉すべきだったかもしれない。
救急車で駆けつけたら、患者から経済状態なんか聞かされて、何軒も病院に電話させられる救急救命士さんもまあ気の毒である。
よくニュースで出てくる「急患たらい回し」という状態が、自分の前でまさに起こっている。
それは医師が足りないからでも、急病人が続出しているからでもなく、「個室料金が払えるかどうか」の問題なのである。
へー!

こんなの、格差社会が進行したらどうなるんだろう。
リアルに貧しい人は、救急車に載せてもらったはいいけれど、個室でもイイデスと言えないばっかりに、血をだらだら流しながら救急車を降りる、というケースも出てくるのか。
ていうか、意識を失ってる人とかどうするんだろうか。
「個室に入ります」というキーワードを言わない限り、このままたらい回し?

8件目の公立病院で、ドクターが直接ぼくと電話で話をするという。
ストレッチャーに横たわりながら、薄れゆく意識の中で救急救命士の携帯電話に出た。
で、大部屋はそこも開いてないけれども、とりあえずERで受け入れようと思う、というような趣旨のことを言われた。
ぼくは「じゃあ命あっての物種ですから、とりあえずお世話になって細かい話は後ほど」と言って、果たしてその病院で受け入れてもらえることとなった。

ぼくはさらに自分の携帯電話を取り出して、姉に電話し、決まった病院の名前を伝え、目を閉じて休んだ。
強烈に寒気がし、気持ちが悪い。
病気の症状か、車酔いか分からない。
でも結局救急車で10分ぐらいの病院に入れて良かった。



ということで、早速モンスター・ペイシェントぶりを発揮してしまったかもしれないが、この場合どうするのがいいと思いますか。
ぼくはやはり、お金が余ってしょうがないという境遇でない限り「可能な限り大部屋で」と言いたい。
差額ベッドの問題はよく「噂の東京マガジン」とかで取り上げられているか、たいてい以下の問題に収斂される。
 ・健康保険が使えるかどうか
 ・高度医療費減免の対象になるか
 ・医療費控除の対象になるか
 ・医師都合か患者都合か
 ・患者が同意書を書いたか

あなたが払った差額ベッド料は取り戻せる!?トラブル回避のために覚えておきたい3つの条件|男の健康|ダイヤモンド・オンライン

いずれも入院してしまってから、あるいは、退院する時に発生するカネの話である。
しかしぼくはこの問題に、救急車搬送中の薄れゆく意識の中で遭遇した。
これ、意識失ってたらどうするんだろうね。
「うちはERには余裕がありますが、大部屋がいっぱいなんで『個室に自費で入る』と救急車に載っている今、確約してくれる患者さんじゃないと命は救えませんねー」
この病院たちの態度をあなたはどう思いますか。
そういうとき、患者であるあなたはどう答えますか。
今回のぼくのように堂々と「大部屋に入れるまであちこちの病院に電話してください」と言い続けていいものだろうか。
それはそれで意外と勇気が要ると思うのである。



結局その公立病院でERのドクターに「さきほど電話に出たドクターと、差額ベッドについてやりとりがあったという記録がありますが、今回は下痢、下血ということで、ウイルス性感染症の疑いがありますので、個室に隔離します。この隔離は病院都合ですので、差額ベッド代金はいただきません」とのことだった。
なんやそれ!