さいきん「ぼくの1日の過ごし方について」というブログを書いた。
内容をかいつまむと、

 ・朝飯を食べる前は異常に調子がいいから、そこで固め打ちで仕事をする
 ・昼飯も炭水化物は大量に取らない
 ・昼寝をガッとして起き、2回目の仕事時間にする、ただし午後は朝より質が落ちるので知性を必要としない「用事」を固め打ちする
 ・夕方ジムに行くと異常に気分転換になるので、その気分でブログを書く
 ・夕食は炭水化物をある程度取る

という1日のサイクルを守っていたら、ある程度ダラダラしないで回ってきた、ということだ。

Twin boys
こんなの人によって全然違うだろう。
やるべきことも、やる環境も違う。
体質と生活環境も大きく異る。
ただ、違うなりにいろいろ試してみて、記録し、これはうまくいった、これはダメだったという経験を積み重ねて、うまくいく方に寄せていくとそのうちいい具合に回るんじゃないか、ということだ。
これからぼくも環境や体質が変わるから、微調整していかないといけないだろう。
とりあえず朝飯前が調子がいい、ジム帰りが調子がいいと気づいたことは良かった。

さて、日記をある程度つけていると、もう1つ気づいたことがあって、ぼくは1日おきに調子がいいということだ。
月水金がいいとか、火木土がいいとかいうことではない。
先週は日・火・木・土が良かった。
今週は昨日(月曜日)が調子が良くて、今日はあからさまに調子が悪い。
これ、サラリーマン時代は土日をガッと休んでいたので、気づかなかった。
前から調子が良かった日の翌日は調子が悪いという自覚はあったのだが(逆は気づきにくい)、突き詰めて考えなかった。
なんとなく「月水金が調子がいい週と火木土が調子いい週があるなあ」と思ったこともあったが、だから何、と思っていたのである。

会社を離れて、別に土日に遊びに行かなくてもいいし、家事を平日にやってもいいので、週という仕切りを外してしまうと、あからさまにぼくは1日おきに調子の波があることが分かった。

ぼくは調子に乗りやすいタイプであって、調子がいいときに張り切りすぎてしまう。
まあそれは悪いことではなくて、ノリノリで仕事や遊びをするのは楽しいものである。
問題は翌日で、リバウンドが起きる。
でも「今日はリバウンドの日だなあ」と思ってガッと休みを入れると、次の日はまたノリノリになる。

じゃあ14日中7日間を休む、平均週休3.5日制にすればうまく回るのかというと、回るかもしれないが、確実にそんな労働量ではあっという間にホームレスになってしまうので、そこをもう一工夫する必要がある。

上にも書いたが、仕事には創造性が必要な仕事と、単純にできる用事がある。
どっちも重要だ。

そこで、不調日に「用事」を固め打ちで行う。
銀行に行ったり、郵便局に行ったり、髪を切りに行ったりするのである。
あと、文章を書くような仕事であっても、ある程度ネタを仕込んでいてダンドリが決まっていれば、途中から作業になる。
スクリーンショットを撮ったり、校正をしたりするのは完全に用事である。
面白いのが校正であって、調子がいい日にやると、かえって変に詩想が湧き起こってしまって、ガンガン書き直したくなり、校正にならない。
不調日に「しょうがねえな。。やるか。。とっとと終わらせるか。。」と思ってやるぐらいがちょうどいい。
不調だからできることもあるのだ。

「用事」だからといってつまらないことという意味ではない。
意外なことだが、「打ち合わせ」は不調日でもいい。
リアルタイムで人と接していると、さすがに変なことは出来ないということで何らかの脳内物質が出て、乗りきれる。
調子がいい日に打ち合わせなんかしていると、あらぬ約束をしてしまったり、相手や共通の知り合いを揶揄するフレーズを何十個も思いついたりしてしまって、どうしようもない。
こうやって書いてみると、調子がいい/悪いというよりは、躁状態/鬱状態と言った方がいいかもしれないが、特に病的な感じはしないし、医師の診断も受けていないので、このまま好調/不調ということで書き進めて行く。

不調日が最悪なのは、予定が思いつかないということである。
いくら不調日に用事を済ませればいいとは言っても、その用事を思いつかないのである。
だから、予定を組むのは好調日にやった方がいい。
今日は好調日だと思ったら、次の日、および次の次の日(2日後)は不調日だという蓋然性が、記録によると相当に高いので、あらかじめ打ち合わせのアポを入れたり、髪を切りに行く予約を入れたり、ToDoリストを書いておく。

次の日になると、あからさまに何もやりたくないのだが、相手がある予定は動かせないし、机の上にはToDoリストが乗っていて、好調な日に用事をやるのは避けたいから、しょうがないので、やる。
2個か3個ぐらい用事を片付けると、不調な日でもできるじゃん、やるじゃん俺、と思えてきて、アガってくる。
10個ぐらい用事を済ませると、気分はスッキリ晴れ晴れして、いっぽう肉体はグッタリ疲れているので、寝る。
で、次の日は好調日なので創造的なことをしたり、その次の日の用事を書き出す。

2週間もこのサイクルでやっていると、好調(KOUCHOU)な自分Kと、不調(FUCHOU)な自分Fが、相互のことを批評的に、客観的に見始める。
Fは、Kが残した「明日やることノート」を見て「勝手なこと言ってるわー」、「いい気なもんだなー」とも思うし、「こんなことやんない方がいいよ!」という気付きもある。
Kは、Fが残した「昨日やったこと記録」を見て「もうちょっとがんばれるだろう」、「まあよくやったよ」とも思うし、「これはもっと工夫できたな」という反省もある。
自分の中にスティーヴ・ジョブズとスティーヴ・ウォズニアックというか、パーマンとコピーロボットがいるような気分である。

ただ、悪い気はしない。
KはFが用事を済ませてくれるので助かっていて、ありがたいと思っているし、そのおかげで創造性の発揮に集中できて効率が上がってきた。
いっぽう、Fは損な役回りかというと、やることをある程度決めてもらえるのはありがたいことでもあり、調子が悪いからといって横になってうつうつとしていたらどんどん気分が悪くなることも分かっているので、このシステムはいいと思っている。

これ、ぼくのような気質の人でなくても、誰でもある程度やった方がいいと思う。
というのは、何でも思いつきですぐやらないほうがいいからだ。
ぼくのような調子に乗るタイプの人は特にそうだと思う。
「これはいい考えだから今やろう」と思うのではなく、「これはいい考えだから後でやろう」と思い、ただし忘れずにメモしておくほうが、ぼくの場合うまく行く。

Kは次の日のFに指令を出しているだけでなく、次の次の日のK自身に対しても「今度はあれやろう」と提案をしている気がする。
いっぽうFは、その日を生きるだけでせいいっぱいだ。
まあ今のところいい調子なので、どっちもせいぜいがんばって欲しいものだ。