勤めていた会社を辞め、自宅で原稿を書いて暮らすようになって1年半が立つ。
カムアウト急だな!
経済的にはまったく不安であるが、もともとそうしたいと思っていたところでもあり、しばらくはこの暮らしにチャレンジする予定である。
みなさんどうぞご贔屓、お引き立て、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

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日本社会のバグは通勤だと思っていた。
同じ時間に一斉に、ローマの奴隷船のような通勤電車にぎゅう詰めになって運ばれていく。
ネットでは痴漢の問題や、痴漢冤罪の問題、女性専用車は必要か、男性逆差別かなどと、議論がかまびすしい。
あるいは満員電車にベビーカーを載せる是非論などもある。
ぼくは、満員電車に乗ってる人は全員が通勤システムや都市計画の被害者であって、被害者同志でケンカになるのは悲しい状況だと思っている。
「自由な時間に出社させてください」
「家でやってもいい仕事は家でやってもかまいませんか」
と上司に言えば済むのに、乗客同士、隣にいる他人と罵り合うのは不幸である。
これ、東京だけの問題かと思っていたが、そうでもないらしい。
数年前熊本で、朝イチで父親に駅まで車で送ってもらってわかったのだが、地方は地方で大変だということだ。
市中心部に向かう車が列をなしている。
車通勤は居眠りすることも、新聞を読むこともできないから、ある意味電車より大変である。

とか書いてはみたものの、ぼくが前いた会社は、時間も比較的自由になるし仕事も持ち帰っていいし、だいいちぼくは川崎市在住で会社は横浜だったので、朝夕の通勤方向がトレンドとは逆行していて、一本電車を遅らせれば常に座っていけたので、通勤が勤め人にもたらす被害、非効率についてはもとより他人ごとであった。

しかし、家で働ければそれはそれですごくいい気がする。
そう思っていた。
ぼくは健康に不安があって、ちょっと机に座っているとすぐにほうぼうが痛くなって、頭がくらくらする。
一瞬気を失って横になっていると、5分ぐらいで回復するから、また1時間ぐらいがんばる。
でも1時間に5分ぐらい大の男が事務所で床にひっくり返っていたら、相当迷惑だろう。
やはりこのスタイルは自宅でないと無理だ。

昔、モバイルという言葉が流行り始めた頃は、ポケコンHP-200LXのDOS化とか、ミニワープロNECモバイルギアのLinux化とかが流行って、通勤中や昼食中、トイレや行列を待っている間に、パチパチ原稿を書くのが最高だと、「PC Wave」誌などに書いていた。
あれは憧れたし、わざわざそのために小型機を何度も買い求めたが、結局身につかなかった。
冷静に考えて、遊びとしては面白くても、まとまった量をそれで書くのは難しい。
でも知り合いの知り合いで、Androidの携帯電話でAndroidの携帯アプリを書いて、それを生業にしている人がいるというから、ぼくにモバイルの才能がないだけかもしれない。

その後モナドというのが流行って、スタバやタリーズに陣取ってMacbook Airで原稿を書くというムーブメントもあった。
あれもダメだった。
喫茶店でノートパソコンというのは、腰が痛くなるし、目も痛くなるし、コーヒーの飲み過ぎでお腹がタポタポになるし、コーヒー代もバカにならないし、そもそもぼくは喫茶店でコーヒーなんかあまり飲む気がないのである。
まあこんなのも人好きずきであって、ぼくはノマドの才能がなかったということであろう。

やっぱり自分の部屋が最高だ。
そう、思っていた。

でも、最近、以前から尊敬していたインターネットで有名な人が「自分で事務所を構えて、通勤して仕事をすることのありがたみを再確認した」という意味のことを書いていて、数年前に書かれた反ノマド論的な文章を改めて紹介していたのである。
読んで、ムムッと思った。
以下、自分なりに要約する。
事務所を構えて、通勤して仕事をするようになったが、大変能率が上がる。
なぜかというと、志を同じくする仲間と雑談できるからである。
情報というのは、本やマスコミから得られる、求めて得られる情報とは別に、なにげない雑談から得られる霊感が絶対に必要である。
というものだ。

なるほど! と思った。

ぼくは先週、前の会社の友達と1回宴会をして、大学じだいの仲間と1回麻雀をした。
あと、出版社の人とスカイプで打ち合わせした。
それ以外は、人間と会話したのは、「まいばすけっと」のレジの人と、スポーツジムのカウンターの人と、上の階に住んでいる大家さんとだけだ。

そういえば、さいきん煮詰まることが多いような気がする。
ちょっとした問題が解決せずに、小一時間も難渋することが多い。
これは、雑談が足りないのだろうか。

そういう場合、普通の友達では足りない気がする。
やっぱり同業の、同僚を得て、微妙に違う立場から同じプロジェクトにいろいろ意見を言うことから、得られる霊感が必要な気がする。
共有オフィスやコワーキングスペースのようなものもいいかもしれないが、やっぱりちょっと濃度が薄い気がする。

でも、くだんの文章を書いていた人は社長であって、たぶん事務所のすぐそばに住んでいるのだから、そりゃあ快適だよなあ、という気がする。
ぼくは今のところ、家の近所に事務所を構えてアシスタントを雇う余裕はない。
10年ぐらいは無理なんじゃないだろうか。
じゃあなんらかの組織に属して、通勤に耐えて、がんばって働いたほうがいいかというと、今のところちょっとその気も起きないのである。

じゃあどうすればいいか。
スッキリした結論は出なくて、考え中なのだが、長いあいだ自宅作業最高論にどっぷり浸かっていたところに、簡単には反論できない異見を得たので、ここに書き残すものである。
いまの自分の快適さを保ったままで、いい刺激になる雑談を得る方法があるだろうか。
あるいは、通勤してももっと心身に負担を掛けない方法があるのだろうか。
いろいろ模索したい。