我が家のMacにも、AppleのNew OS、Yosemiteがやってきた。
もっとも、買いに行く必要はなくて、無料でアップグレードするだけだ。
Appleはハードウェアを売って儲けているので、無料でOSを配ってもいいという判断だろう。

メーカーにとっては、古いOSをいつまでも使われると、具合が悪い。
新しいテクノロジーを使って商売がしたいし、サポートする製品のラインも絞りたい。
日々進歩するサイバー犯罪にも対応しなければならないから、コードは新しくしたい。

でもMicrosoftのような、ソフトだけ売っている会社は、そうもいかない。
結局「セキュリティを守るために最新OSに変えてください! もう古いOSはサポートしません! でも新しいOSはお金を出して買ってください」と言うしかなくなり、これはメーカーの大不興を買う。

といいながら、日本人は羊のようにおとなしいから、OSをアップグレードする。
なんならパソコンじたい買い換える。
ビックカメラのような店のポップに「もうパソコンの買い換えはお済みでしょうか!? 古いOSはもうサポートされません!!」と書いてあって瞠目した。
古いパソコンにOSだけ買って入れるという発想はないのか!?

まあ小売店の商売だけじゃなくて、ユーザーに取っても、OSだけ買うよりもパソコンごと買い替えた方が、インストールの手間や、相性問題で気をもむぐらいなら買ったほうが安くつくかもしれない。

しかしこんなにぱーぱーパソコンを買い替えて、古いのを捨ててしまう国民は日本人ぐらいじゃないだろうか。
イギリスやオランダの政府は金を払えばXPを使い続けられるカスタムサポートを使うということである。
一方中国は、Windows 8を買うのも、XPカスタムサポートを受けるのも共に高過ぎるとして、XPを強行的に使い続けるという報道があった。
民間のサポート会社がセキュリティパッチを独自開発するとか言ってたんだけど、知的所有権とかクリアしてるんだろうか。
その後どうなったんだろう。

もっとも日本も、税務署のサイトとか川崎市役所の粗大ごみチケット発行サイトとか、「Windows XP、Meをサポートします」などと堂々とうたっている。
XPのサポートが終了したことじたい知らないのではないだろうか。

ぼくの親父は死ぬ前に「Windowsが7ですっかり変わってしまった、変わりすぎて使えない」とこぼしていた。
XPから7であれだけ嘆いていたのだから、もう2年ほど生きていれば8を見て、さぞかし肝をつぶしたことであろう。
しかしその8ももうすぐ終了で、Windows 9を飛ばしてWindows 10が出る、スタートボタンが完全復活して先祖返りすると言われている。

Windows 9を飛ばしたのは、よその会社のプログラム(Java?)が、「OS名がWindows 9で始まる場合、それはWindows 95」というハードコードをしていたから、という噂があるが本当だろうか。
でもそれだったらWindows 98の時点ですでに困っていたのではないだろうか。

さて、話をMacに戻すが、Yosemiteのデザインは、Marvericksよりもさらに、いっそう、フラットデザイン(平面的)になってきた。
なじめない。
とりあえず信号機アイコンは前のビー玉みたいな、光沢があるやつが良かった。

もともとアップルのデザインはiOS 6の頃まで、スキューモーフィズムと言って、立体的でリアルな感じを強めていた。
YouTubeのアイコンがレトロ家具調のテレビだったりするやつで、あれはあれで違和感が拭えなかった。
あれはスコット・フォーストールという人がデザインしていたのだが、やがて彼は解雇されて、ハードの全権デザイナーだったジョナサン・アイヴがOSもデザインすることになって、iOS 7からフラットデザインになった。
あのときも馴染めなかった。

で、Marvericks、Yosemiteと、OS Xもフラットになってきた。
iOSにOS Xがヨセテミテ(寄せてみて)いるわけで、これはタブレットにデスクトップを合わせようとしているMicrosoftと同じトレンドだ。
(前の行を読み返して思ったが、そんなに無理して言うほどのダジャレでもなかった)

LinuxもUbuntuがUnityというタブレットを意識した見た目になってから使いにくくてしょうがない。
でもこっちは昔ながらのGNOME Shellをインストールすれば、完全に切り替えることが出来る。
ぼくはGNOME Shellを可能な限りWindows XPっぽくして使っていた。

でも最近はLinuxを使わず、WindowsとMacの最新版を、可能な限り売っているままの状態で使うことが多い。
というのは、何らかの解説の原稿を書くときに、ユーザーはWindowsやMacを使っていて、スクリーンショットも撮ることが多いのだ。
スクリーンショットがカスタマイズされた状態だと、広い読者にアピールする上でマズイらしいので、世間の人が味わっている苦しみを一緒に味わうのも修行のうちだと思って、普及しているものをあえていじらずに使っている。
(WindowsのClassic Start Menuだけはさすがに入れさせてもらっている)

OSが変わるというと、いつもシェルが話題になる。
本当はカーネルやセキュリティなどが、日進月歩で、血の滲むようなエンジニアの努力の末に進歩しているはずなのだが、シェルの皮いちまいだけが論評されるのはかわいそうな気もする。

一般にWindowsは変えすぎである。
Macは変わらない。
Windowsのように2年おきにまったく変えてしまって、しかも変えるのに2万円掛かると、さすがに使う方もだんだん嫌気がさしてくるのではないだろうか。

さて、フラットデザインとスキューモーフィズムの比較である。

スキューモーフィズムは、フォーストール末期の頃(iOS 6)はかなり、相当違和感があった。
なにかというと木目調だったりして、せっかく最新の情報機器を使っているのに、なんでこんなレトロ感のあるものに付き合わされるのか不思議であった。
だいたい、進歩するとリアル感を追求するというのも安易だったと思う。
鉛筆とか、万年筆とか、消しゴムのカスとか、そういうものから逃れて情報機器を使うのに、何かというとそういうグッドオールドなもののメタファーを導入していたのは、確かに逆コースだったと思う。

しかしフラットデザインがわざとらしく推し進められると、それはそれであまり好ましくない気がする。
ちょっとは立体的な方が使いやすい気がする。

たとえばボタンは、盛り上がっていて影がついていたほうがよい。
ここを押してくださいよ、という主張があった方がいいと思うのだ。
押すとペコ、とへこんだほうが使っていて実感が得られる。

iOS 8でTwitterの公式アプリの投稿ボタンが、単なるテキストリンクに変わってしまった時は相当違和感があった。
どこを押せばいいのか分からないのである。
これはさすがに不評だったらしく、今は周りをボタンっぽく塗っているが、さらにもうちょっと立体感があった方がいいと思う。

どうもいまのAppleのデザインは極端から極端に振れ過ぎ、デザイナーの主張というか、私情が表面に出すぎのような気がする。
もうちょっと使いやすいぐらいに立体的で、でもあんまりトゥーマッチにリアル過ぎないのがいい。

でもこんなのしょせんユーザーの好みである。

よくアイドルがヘアスタイルを変えると、「前の方が良かった」と言われるという。
それは、見ている方も特に美的感覚に自信があってそう言っているのではなく、好きだった頃の感じから離れられると都合がわるい、違和感がある、ということだろう。

パソコンのソフトウェアはアイドルと違って、ユーザーが好きにカスタマイズできるのだから、可能な限りいじらせてくれればいいと思う。
この点はLinuxがすばらしい。
ただLinuxはしょっちゅうメンテやハックが必要で、カスタマイズが衝突したりして、だんだん便利に使っているのかOSの開発に付き合わされているのか分からなくなってくるのが残念なところだ。
デザインの柔軟性と手間が掛からなさはトレードオフ関係なのだろうか。

いまMicrosoftが「XPスタイル、7スタイル、8スタイルから好きなようにシェル(スキン)を変えられます」という機能をつけたら、爆発的に評判が上がると思うが、どうだろうか。
まあそんなことを言っても、解説書を書く人は売ってる状態を我慢して使わざるを得ないであろうが・・・。

Yahooショッピング