携帯電話の絵文字で使われているUnicodeが多様な人種の存在に配慮していないのではないか、もっとたくさんの人種を収録すべきではないか、という問題になっている。

AfterRain
「絵文字に平等をサポートしてください」人種差別の指摘にゆれるUnicode -INTERNET Watch

携帯電話の絵文字はもともとdocomo、au、ソフトバンク(会社の名前はいずれも現在)が適当に定義している日本の「ガラパゴス規格」で、国際的な標準化どころか、同じ日本の中の互換性も考えられていなかった。
どこそこの会社のハートはかわいいとか、J-PHONEのハートは動くとか、そういうのが売りになった時代があったのだ。

iPhone 3GSをソフトバンクが日本に導入した時、最初は絵文字が使えなかった。
それで孫社長が緊急渡米し、Appleを動かして使えるようにさせた。
この時点でも絵文字は各社互換性がなかったのだが、サーバーで置換したりしていた。

しかしUnicodeによる国際標準化案がApple/Googleから出され、世界共通の絵文字を作ろうということになった。
この問題は上の記事も書かれている小形さんの記事に詳しい。

特集 : 絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」 - CNET Japan

もともと日本人が適当に考えたものなので、政治的に不適切なものが多かった。
たとえば地球は【🌏】という、日本人がパッと思い浮かべるアジア中心のものしかなかった。
(【】にはAppleカラー絵文字が入っています。以下同じ)

しかし、Unicodeコンソーシアムの討議の結果、地球は以下の4つに増えた。
 1F30D 【🌍】 Earth Globe Europe-Africa
 1F30E 【🌎】 Earth Globe Americas
 1F30F 【🌏】 Earth Globe Asia-Australia
 1F310 【🌐】 Globe With Meridians

最初に引いた記事を要約してしまうと、こんかい人間の顔が、明るい肌の色しかないのが問題視されて、いろいろな顔の色を増やせ、と問題になっている。
最初は人間の顔の後に、前の字の肌の色を変える字(skin tone generator)をくっつけて修正しようとしていた。
それで議論が紛糾したので、「肌の色だけではなく、ケーキとかいろいろなものの色を変えられる字を作ろう」(tone generator)という案が日本から出た。
しかしどちらの提案も2文字で1文字を表す以上字の追加だけでなく表示するシステム自体を変えなければならない。
だから字の種類をいっぱい、とりあえずは52個追加してしまえばいいんじゃないか、という案がアイルランドから出ている。
以上、詳しくは上の記事を呼んでください。



この話をパッと読んだ時、最初に思ったのが、肌の色さえ変えれば人種の多様性を表現出来るのだろうか、ということだ。
我々は黒人は毛が縮れがちとか、日本人は顔が平坦だとか、そういう人種的な認識を持っている。
それを表現しなくていいのだろうか。

むかし大阪の小学生とその両親が作った「黒人差別をなくす会」というのがあって、ダッコちゃん人形やちびくろサンボの絵本、黒人の少女がカルピスを飲んでいるマークなどを次々に店頭から取り除かせて話題になっていた。
その団体の主張は、特徴を主張することが差別だ、と言う話なのに、今回のUnicodeの提案はそういう特徴が主張できないのは差別だ、ということなのだから面白い。

そもそも字に色はあるのだろうか。
Unicodeの規格書は白い紙に黒で印刷されており、色はない。
絵文字の収録とともに赤いリンゴ【🍎】と緑のりんご【🍏】とが作られたが、Unicodeの規格書には「文字の名前に色が書いてあったとしても、その字が表現される色を規定するものではない」と書かれている。
また、Unicodeの規格書では、最初の表の方では前者がアミカケ、後者が黒になっているが、最後の方の名前が書いてあるところでは、両方真っ黒になっている。
(http://www.unicode.org/charts/PDF/U1F300.pdfのU+1F34EとU+1F34F)
これらの字は最初「WHITE APPLE(白いリンゴ)」と「BLACK APPLE(黒いリンゴ)」という名前で提案され、それぞれの横に「●通常は赤」、「●通常は緑」と書かれていた。
つまりUnicodeは建前としては色がないのだが、実装上は色があって、各社の端末は名前に合わせた色を表示することで合意している。

あと字というのは「この字がないのはおかしいから作ろう。形をみんなで考えよう」というものだろうか。
よく聞くのは人名漢字などで「うちは先祖代々この字を使ってきたし、戸籍謄本にもちゃんと載っているのに、この字がパソコンで出ないのはおかしい」ということで、字を規格に登録する話だ。
つまり「すでにあって、ちゃんと字として通用しているものは登録する」というスタンスだ。
しかし絵文字の場合は、従来はなかった字を、いちからデザインして登録するところに面白さがある。
「白人があるのに黄色人種がないのはおかしい」、「黒人がないのはおかしい」という考え方である。
つまり、字の形ではなくて概念として通用しているものは、字形を持つべきだという思想であろう。

でも、ここで、人種に限らずステレオタイプな人間の種類や状態を簡単に字形にしてしまえば、確実に差別問題になる。
この場合は表現方法がないことではなくて、表現方法があることが差別になるのである。

そもそも差別的な字、というのはあるのだろうか。
ローマ字にはないと思うが、漢字にはありそうだ。
わざわざ書かないが、差別を避けるために一字だけ表記が変わった漢語はある。
むかし「『婦』という字は女が掃きそうじをしているところだから差別だ」という主張があったが、これは誤解であるということだ。
筒井康隆は「ある新聞社は『狂』という字を使うことを禁じている」という話があったが、これは本当だろうか。
「狂」という字が簡単に出てくる文章は差別的になりがちなので、いちおうチェックするシステムがあったぐらいのことではないかと思うのだが、真偽のほどは分からない。

差別的なローマ字はないが、ローマ字を組み合わせて作る差別的な英語はいくらでもある。
これもあえてこんな文章に書いて火中の栗を拾うまでもなくおなじみである。

昔PC(politically correctness、政治的な正しさ)ということが言われていた。
short(背が低い)という言葉は差別だからvertically challenged(垂直的に困難な状況に立ち向かっている)という風に言い換えようという話だ。
じゃあ俺達fats(デブ)はhorizontally challengedか。
大まじめにそういうことを言っていた人もいるのだろうが、どちらかというとそれをモンティ・パイソン的な文脈で笑ってしまおうという態度の言及が多かった。
pet(愛玩動物)というのは動物への差別だから、human's friendly companion(人類の友情にあふれた連れ合い)と言い直そうとかそういうのである。