昔ながらの、いわゆる古典の「ことわざ」は好きな方である。

矛盾したものが多い。
朝起きは三文の徳<=>果報は寝て待てとか、先んずれば人を制す<=>急いては事を仕損じる、虎穴に入らずんば虎児を得ず<=>君子危うきに近寄らずとかである。
何かをするときに指針を仰ぐというよりも、何かをすると決めてしまってから、勢いを付けるために、自分の決断を追認するために援用することが多い。
アドバイスとしての意味はあまりないのである。
若いうちの苦労は勝手でもしろとか、親の意見と茄子の花は千に一つも仇はないとか、ああいうのは、老人が若者を従わせる、自分の主張を通すためのポジショントークという気もする。
でも腹は立たない。
「ああ、この人はことわざを援用して自分を有利に立たせようとしているなあ」と面白く感じるだけである。

最近の人の名言でも、イチロー語録とか、ある程度実績がある人のものだと一定の重みがあってナルホドと思う。
何人もの語録が出版されているので、自分はああいうタイプの偉人になりたいと思う人の名言を取り入れるといいような気がする。

腹が立つのは、おやじの小言とか、ああいう安い名言格言をそのへんに貼っている人である。
サラリーマンが会社の机とかに貼っている。
自分を叱咤するために貼っているのだろうとは思うが、用事があってその机に行き、安い名言格言が目に入ると、なんか自分がその机の人に説教されてるような気がする。

居酒屋のトイレに「おやじの小言」を貼っていることが多いが、店主の神経を疑う。
友達と会食して、リラックスするために金を払って居酒屋に来たのに、なぜトイレでおやじの小言なんか見せられないといけないのか。
むかつく。

そういうことがあって、名言、格言のようなものを避けて歩いていた。
自分はああいうものが苦手だと思い込んでいた。
より正確には、ああいうものが苦手な自分をカッコイイと思い込もうとしていたのである。

しかし、名言格言もたまにはいいものがある。
元気が出るし、判断に迷うときの指針になることもある。

たぶんこういうことだろうと思う。
ぼくは名言格言は、頼んでもいないのに他人に不意に押し付けられてしまうもの、現状の自分をダメ出しするもの、という偏見があった。
で、ぼくはダメ出しされるのが大の苦手で、自分は「甘やかされると伸びるタイプ」だと思い込んでいたので、避けて通っていた。
そうではなくて、自分で、今の自分の気持ちにぴったりする名言格言を選んで、強化する、という使い方もあるということだろう。

ドラマ化した漫画『アオイホノオ』の原作者、島本和彦も、劇中で主人公がライバル視している庵野英明も、名言格言コレクターだそうで、それを絶叫してテンションを高めるそうだ。
彼らもきっと「厳しい名言格言に叱咤してもらう」というよりは、自分の決断を追認してもらうために援用しているのだと思う。
当代を代表するスーパークリエイター2人がやっていることだから、ぼくもやってみようと思う。

実は、それを知るもっと前から、こっそりやっていたことがあった。
とても恥ずかしいことだが、ここに晒す。

日常の思いつきや疑問をメモするのに、iPhoneが使えない場面ではロディアメモに書く。
ロディアメモは、一枚いちまい裏にも罫線が引いていて、裏移りしないイイ紙なので、立派に書ける。
しかし、裏面はどうにも書きにくいので、使っていなかった。

ロディアメモはミシン目がある。
家に帰ったら中身をパソコンに転記して(こういう用途だとやはりEvernoteがいい)、紙の方は切り離してしまう。
こうすると、常に表紙をめくると白い面になり、咄嗟のときにサッとメモが取れるからだ。

それで、裏が真っ白な紙が大量に余るので、もったいないと思っていた。
机の上にためておいて、電話メモなどに使うのだが、あるとき思いついて、この紙に自作の格言を書くことにした。

自分が言うことだから、反感を持たない。
自分に説教されるのであれば、素直に聞くことができるのである。
調子が悪いときの自分にあてたメッセージである。

何個か紹介する。

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「反省は大事だが
  改善がもっと大事」

なるほどー。
よく失敗をしたら人に謝ったり、しおらしくしてみせて、眠れなくなったり、食欲がなくなった体で、これだけ反省してるんだから許してくださいよという人がいるが、あまり役に立たない。
問題はそれをどう次回から繰り返さないかである。

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「不調時はダラダラ
  がんばろう
 がんばっているうちに
   調子にのってくる
 ていねいにやってたら
  ダラダラ立派なことができる」

これは結構自分を助けてくれる言葉だ。
最近気づいた。
調子が悪い時は、自分はロクなもんじゃないと思い、こんなロクなもんじゃない自分ががんばったところで大して人の役に立たないから、無駄だと思ってしまう。
でも、仕事しないと食べていけないし、実は調子がいいときにノリノリでやったことも、調子がわるいときにダラダラやったことも、後で見るとそんなに変わらないのだ。
調子が悪い時は、調子が悪いなりに、ダラダラでいいから、少しずつがんばっていると、がんばれたことでいい気分になり、ノッてくる。

ただこの名言格言は、自分が文章書きやプログラミングなど、蓄積型の労働をやっているから当てはまることだろう。
寿司職人や舞台俳優、レーシングドライバーのような、リアルタイム型のパフォーマーには当てはまらないと思う。
ダラダラがんばっているレーシングドライバーとかあまり聞いたことがない。
でも自分にはあてはまっているから、いいのである。
このように、カスタマイズできるのがいいところだ。

以下、めんどくさいので写真は割愛する。

「自分の欠点を
  直視し分析しろ
 自分の指摘なら
  受け入れられる
 自分を愛しているから」

わー。
ちょっと痛いね。
今日のブログものすごくイタいような気がしてきた。

でもこれも、本音である。
他人のアドバイスというのは、どうも当てにならない。
単に偉そうぶりたいから言っている場合もあるし、その人の立場を強化するためのポジショントークの場合もある。
無意識にポジショントークを垂れ流している人も多いので、油断できない。
でも、他ならぬ自分が言うことなら、信用するしかないのではないだろうか。

「つまらない仕事を
  している方が
   心静かで
    心地良いと思う
     こともあるが
 実際は
  逃げてるだけ」

うわー。
すごいね。
厳しいな自分!
でも言われればそんな気もする。

「休憩時間は
  無駄じゃない
 贅沢も
  無駄じゃない
 無駄なのは、なんとなく
  ぼうっと時間と金を使うこと」

これは真実である。
パソコンの仕事をしている人に多いパターンだと思うのだが、気づいたらゲームをしたり、「まとめサイト」で他人の不幸話を読みいってしまったりして、時間を空費してしまう。
たいしてそんなこと楽しいと思わないのにダラダラやっているのである。
だったらガッと寝るか、遊びに行ったほうがいい。

お金も、美食とか海外旅行とか、贅沢をするぞ! と思って使う金は死に金ではない。
問題は、洗濯する暇がなくてコンビニで下着を買うとか、なんとなくジャンクフードを買うとか、そういうやつである。

こういうメモが、20枚ほどもある。

明らかに自分を甘やかすための欺瞞的な言葉もあるし、どこかで聞いた言葉をたいして共感してもいないのに書きなぐっている場合もある。
それはそれで、あとで見て、反省する手がかりになる。
こういうつまらない言葉しか出てこないようじゃダメだよ、と反省するのである。

自分用の名言格言を自分用に書き綴っていると、自分の改善点というか、問題点というか、病理というか、そういうものが明らかになってくる。
認知療法の自己治療に近いかもしれない。
でも何十枚か書いて、予選を勝ち残ったやつは、それなりに普遍的な価値を持っているような気がする、自分だけの宝物である。
人から聞いたふうなことを言われても、あまり共感できなかったり、かえって反感を持ったりするが、自分が言うことだと、「われながらイイコト言うなァ・・・!」と思って、素直に聞けるのである。
どんだけ自分好きなんだよって気もするが、このやり方は最近気に入っている。