この歳になってから気づいてももう遅いのだが、自分はこういう人間だ、と思っていたセルフ・イメージと、本来の自分が乖離していることがある。
こうなりたい、と思っていた自分とのギャップが、年を経て大きくなっているのかもしれない。

Ford assembly line - 1913
以前は、自分は、芸術的なタイプ、個性的なことをやるタイプで、決まりきった作業的なことが嫌いだと思い込んでいた。
しかし最近になって、決まりきったことを順々にやっていく、あまり考えないでも作業が進むのが心地よい、ということが分かってきた。

朝あれをやって、これをやって、というのをリストアップしておく。
毎朝体重を測って、家計簿をつけて、とか、何曜日は何のゴミを出してとか書いている。
これを順番につぶしていく。
楽しい。

逆に、毎日違うことをするのは、気が重い。
白いキャンバスに絵の具をドン、と置くような仕事が、自分は好きだと思い込んでいたし、そういう仕事こそ自分がやるべきだ、と思い込んでいたが、今は気が重い。
なかなか手が出せないのである。
それよりは、決まりきったことをしたい。

でも、付加価値の高い業績を残すには、それではダメで、芸術とまではいかなくても、自分の個性を世に問うような、表現をしないといけない。
機械に代替されないような、自分ならではの仕事をしなければ、生き残れないのである。
そういう仕事こそが、以前は、生きがいだと思っていたが、最近はこれがしんどい。
単に年を取って、調子悪くて疲れてるのかもしれない。

しかし、調子悪いなりになんとかやり過ごす方法を覚えた。
表現活動であっても、作業化するのである。
仕事の原稿やブログを書くことでも、家計簿を付けたり食事を調理したりするのと同じで、決まりきった手順がある。
それを自動化できる部分は自動化して、出来ない部分はチェックリストを作って(チェックリストは言わば自分の―人間のプログラミングである)、端からぷちぷちチェックしながらやっていけば、いつか終わる。
チェックリストを埋めるのが主で、チェックリストを埋めていたらいつの間にか終わっていたみたいな感じになるといい。

昔は調子が悪い時は休むのが正しいと思っていた。
調子が悪いのに、不機嫌な顔をして表現活動をしても、楽しい気持ちにならないし、楽しい成果物がアウトプット出来ない気がしていたのだ。
だったら、いったん休んで、英気を養って捲土重来を帰せばいいと思っていたのである。

これが間違いで、そんな気持ちでいると、いくらでも休めてしまう。
もう少し―もーちょっと休んだらがんばろう、とか言っていると、どんどん調子が悪くなってくる。
こういうとき、調子が悪くても、調子が悪いなりに、だらだらでもいいから、やった方がいい。
以前セミナーで教わったことだが、躁の気分のときに書き飛ばした文章も、鬱の気分のときに、うんうん唸りながら、何度も書きなおして書いた文章も、後で読み返すとそんなに変わらないそうだ。
調子が悪いけど、だらだらしながらだけど、ちょっぴりだけど、なんとなく、書けた。
そういう小さな実績を積み重ねていると、それが自信になって、だんだん調子が出てくる。
世間の調子が悪い人に、だからお前もがんばれよ、と言うものでは絶対にないが、とりあえず自分には、そういうこともあった。

さて、上のことは、アウトプット、つまり、自分が持っている知識や発想を外に出す作業の場合だ。
問題は学習、つまり、自分が持っていない知識や発想を本などから中に入れるインプット作業の場合である。

これこそ調子悪いときにやってもしょうがない気がする。
身にならない気がするのである。
調子が悪い時は、本を読んでいても目が上滑りしてしまうし、何を読んでいたのかすぐに分からなくなってしまう。

こういうときも、やはり手順を決めて、何らかの作業をすればいい。
昔の人が、お経を書き写したり漢籍を訓読したりという、何らかの肉体作業によって知識を叩き込んだのは、やはり意味があることだったということだろう。
しかし、技術書を書き写したりするのは無理がある。
この場合は、メモをつけて、本の内容を要約する。
ぼくの場合は、そのネタで別の本を書く自分を妄想する。
もちろん、そうそう技術書の企画なんか通るわけではないし、人の本を一冊や二冊読んで、もう別の本を書くなんて僭越なことは、出来ない。
だから、妄想は妄想なのだが、同じネタで、でももっと(自分にとって)分かりやすい語り口で、もっと(自分にとって)役に立つ部分を強調した書き方の本やセミナーを考えて、企画書やレジュメを書くつもりでメモをつけていると、身に入る。
それに、勉強している分野で別の本を自分で出すというのは、100%の妄想でもなくて、何冊も読んでいればそういう企画も出来るだろうし、いまどきは電子書籍の自主出版も容易にできる。
それこそこういうブログに書いてもいいのである。
だから、アウトプットのネタを仕込むつもりで読む。
変なことを書いていたら突っ込みを入れてやるというつもりで、批評的に読む。
そうすると、調子悪くても多少は意味のある作業をしているという気持ちになってくるし、身に入る。

あと、年を取ると本当に物覚えが悪くなるので、書いたメモを後日見直す。
これが、本当にわけがわからないことが自分の文章でつらつら書いているので、瞠目する。
それを改めて、元の本と見返して、推敲していく。
これでようやく知識が定着する。
この方針が今のマイブームである。
本当に最近調子悪いのだが、この方針でがんばっている。