数年前から「コミックエッセイ」という形式の、主として女性向けのマンガがたくさん出版されている。
大判で薄くて読みやすく、名の通りマンガとエッセイの中間だ。
実用書や啓蒙書に寄った作品もあるが、自虐やあるあるで笑わせる作品も多い。
面白いのが、この中間を自由に行き来する作品が多いのだ。
描く内容は自由で、とりあえず分かりやすく、面白く、本当に思っていることを描く、ということだろう。

Yashima Junior High School small gym

(※写真は内容と関係ありません。)
面白いのが、作者の考えに近い場合は感心する作品が多く、逆の場合はまったく興味が湧かない、その差が大きい、ということだ。
作者の考えがそのまま、分かりやすく、衒いも言い訳もなく描かれている。
薄いコミックだと、自然にそうなる。
立派な構えの、難しいことがいっぱい書いている本だと、「うーん、この本どうもロクなもんじゃないけど、でも軽々しく批判もできない気がするなー・・・?」などと思って、いやいや読み続けてしまう。
でもコミックエッセイの場合はごまかしが効かないので、あ、このひと合わないや、と思ったらスッパリ読むのをやめられる。
いまどきのホンネ文化が生んだ、本そのものの一つの進化形という気がする。

一番好きなのは、池田暁子さんのハウツーものである。
人気作家で著作は数多いが、衝撃のデビュー作『片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術』がやはり忘れられない。
前半の「いかに汚部屋で損をしたか」について縷々語られる部分の迫力がすごいから、後半になってようやく語られる片付けるノウハウの部分がしみる。
ぼくも似たような境遇を経てだいぶ最近になってから部屋が片付いたのだが、この本との出会いも大きかった。

もうひとつ好きなのが、高世えり子さんの「理系クン」シリーズだ。
要は理系男子の奇人変人ぶりを、実際にお付き合いしてのちに結婚に至る男性を題材に語る、よくあるパターンのマンガだが、視点が愛にあふれている。
彼を理解していくうちに、こんな考え方もあるのか、自分が偏見にとらわれていたのか、と思い始め、カップル二人の人生がお互いに豊かになっていく。
ただ一方的に揶揄するだけの他作品よりも、読後感がさわやかで、むしろ深い、と思わせる。

さて、最近ハマっているのが、古くから「小梅ちゃんが行く!!」などの、女の子がカワイイ四コママンガを愛読していた青木光恵さんの『中学なんていらない。』だ。

本格化|中学なんていらない。|青木光恵|無料WEBマガジン コミックエッセイ劇場

(最新章と、前の章が公開されるようで、最初の章は読めなくなっている。完結後に本として発売されるようだ。)

これは、青木さんと、夫のオガタさんが、いじめ被害にあった中学生の娘さんの登校拒否にあって、動揺しながらそれに立ち向かう日常を淡々と語ったものだ。
語り口は少しも重くない。
ふだん通り淡々と進み、こまかい笑いもたくさん散りばめられているが、内容は重い。

「あー、娘さんの場合は、行ける高校がないですね」と、このマンガに出てくる先生は言う。
あくまで軽く言うのである。
向こうも商売であって、何百人、何千人という生徒を毎年まいねん相手にしているから、いちいち本気で入れ込んでいたら、持たない。
それぐらいに思っているのではないだろうか。

だが、この先生のセリフを読んだ時、全身に粟粒が出来た。
社会的な怒りでも、かわいそうという同情心でもなく、純粋な恐怖を覚えたのだ。

ホラーとか、殺人鬼が出てくるサイコ・サスペンスも怖いが、日常生活でポンととんでもないことがあるのが、一番怖い。
それは誰の身にも起こりうる恐怖だ。
この感覚を覚えた時に、「コミックエッセイはすごいな!」と思った。
このジャンルの新たな可能性を感じたのである。
ふだんから読んでいる爆笑マンガ家の、とぼけた味わいの日常描写を読んでいたら、先生がしれっと身も蓋もないことを言う。
これは怖いよ!

特にいじめっ子や先生個人を糾弾するわけでもない。
そんなことしてもしょうがないのである。
誰を責めても救われない、この豊かたるべき日本社会のバグに巻き込まれた自分たちのことを、あくまで淡々と、笑いを交えて書いている。
これから一家の、救いを求めた闘いが始まるのだが、早く先が読みたくてウズウズする。