いつごろからか分からないが、書店にやたら「自己啓発書」が置いてある。
こうするとお金が儲かる、こうすると仕事がもっと部屋がきれいになる、やせる、英語ができるようになる、出世する、という本だ。
大きくまとめると、いままでダメな人生を送っていたぼくでも、その本を読むと人生が向上する、ということが書いている。

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人生が向上するならいいことだ、と思う。
ぼくなんか要領が悪くて、ちょっとがんばってもすぐに挫折してしまって成果が出なかったり、そこそこ頑張ってるつもりなのに評価につながらなかったりする。
こんな本でも読んでいい思いができればいいなあ、と思わないでもない。
こういう本をパッと分類してみるとこうなる。

<ダメな自分矯正系>
 ・英語の勉強や体力づくりが、三日坊主だったのが続けられるようになる
 ・何をしようかダラダラ迷いがちだったのが、サッと取り掛かってサッと終われるようになる
 ・すぐにお金が出て行くのを、きちんと管理して大事なときに使えるようになる

<損してる人生改善系>
 ・税金や利息にむとんちゃくだったあなたも、もっといい金融商品を買えばお金を増やせるようになる
 ・いままであなたは○○を食べていたから太っていた。これからは××を食べればどんどん痩せていく
 ・あなたの英語のやりかたはココが間違っていた。これからはこうすれば英語ができるようになる

<他の人よりもあなたが得する方法>
 ・いやな誘いを断って、やりたいことだけやって人生を改善する方法
 ・人を説得できないあなたが、説得力を身につけて主張を通す方法
 ・平社員のあなたが他の人を出し抜いて出世する方法

実際には、たいていの本はいくつかのカテゴリーの複合である。
たとえある食事法がダイエットに有効であっても、それを続けるには一定の努力と周囲の協力が得られなければならないのであって、単純ではない。
ある人が会社でバリバリ自分の主張を通して組織の主導権を握ろうとしても、その人の仕事がショボいものであれば、誰も着いて来ないから、それなりに頑張らないとダメである。

さて、自己啓発書には批判も多い。
「そうそううまくいかない」という批判が多いのである。
口さがない人は「キャリアポルノ」という言い方もしていた。
ポルノのように、トントン拍子で欲望を満たす主人公の人生に自分を重ねて、気持ちよくなっているだけだ、という意味だろうか。

ぼくも辛い時、苦しい時に自己啓発書を読んで、元気にはなったが、あまりうまくいかなかった。
よく言われることだが、あれは栄養ドリンク剤に似ている。
栄養価の高い料理であっても、体に効く運動であっても、自分の体に現実に効いてくるまでには時間が掛かる。
栄養ドリンク剤は(ブドウ糖やカフェインが入っているので)一時的にワッと盛り上がる。
それと一緒で、一時的に盛り上がる効果は確かにある。
しかし長期的にはあまりうまく行かない。
では、なぜうまくいかないかを書いてみる。

まず<ダメな自分矯正系>の場合は、読んでも実行しないとダメだ、ということだ。
じゃあ実行すればいいのだが、わかっちゃいるけどやめられないのである。
字を読むことと実行する前には、大きなギャップがある。

いぜん勝間和代さんの本を読んでいて、「この本を読んでも、読むだけで満足せず、一定の成果が出るまでは、他の本を読まないでください」ということが書いてあった。
勝間和代さんという人はとかく色々な評判がある人だけど、この文章を読んだときは「いいこと言うなあ〜」と感心した。
勝間さんも自分の本がどのように消費され、どのように失望されてしまっているか、自分である程度ジレンマを感じられているのではないか。

<損してる人生改善系>には、もうちょっと実際的な情報が盛り込まれている。
これについてまわる疑問は「ホントかよ!」というものである。

ダイエットに凝り始めて数十年たつが(何十年たってもやせないが)、思うのは、実に沢山のダイエット法があるということだ。
前にも書いたが、ちょっとした遊びを考えた。
ある単語を思い浮かべて、それにダイエットを付けて検索すると、必ずヒットするというものだ。
「牛丼ダイエット」、「ケーキダイエット」、「ラーメンダイエット」、すべてヒットする。
「炭水化物を取らないダイエット」もあるし「ご飯を沢山食べるダイエット」もある。
「玄米ダイエット」もあるし「白米ダイエット」もある。

もっと疑問なのがファイナンス系である。
株をやめて債券を買えば儲かる、という本がある。
債券をやめて株を買えば儲かる、という本がある。
しかしこういうのは、あたりまえだが、買った時期と売った時期にものすごく影響されるのである。
人は普通自分の老後資金を貯めるために投資を始めるが、ある人の若いころに安く買え、老後に高く売れる商品は何だったか、ということは、その人の老後にならないとわからないわけだ。
しかるに、ファイナンシャル・アドバイザー的な立場でお金のおすすめを書いている人は、何百年も生きているわけではない。

誰でもいうことだが、「××を買えば儲かりますよ」という本に従ったからと言って、その通り儲かるかどうかは分からないが、その本を書いて売れた人は必ず儲かるのである。
究極の例が競馬の必勝法である。
「今年は消費税が8%に上がったから8ワクの馬が来る」というような考え方を「サイン馬券」というが、サイン馬券の本は結構売れている。

ここまではわりと誰でも言うことだが、これから書くことは他に言っている人をあまり見たことがない。

<他の人よりもあなたが得する方法>の疑問は、あなたが得をする権利があるのか、あなたが得をすることが社会に取っていいことなのか、という考察が抜けていると思う。

よく「ハーバード大学でしか教えない、相手にノーと言わせない説得術」のような本を見る。
2人の人が議論していて、Aさんの主張が通って、Bさんが折れる。
この場合、Aさんの主張に無理がなく、Bさんにとっても、社会全体にとっても悪い話じゃないから通ったのであれば文句はない。
しかし、Aさんが、ハーバード大学でしか教えない、相手にノーと言わせない秘術を心得ていたからであったなら少々おだやかではない。
「説得術」などに負けてしまって、本来のBさんの権利が損なわれてしまったり、Aさんなんかの主張が通ってしまったことによって他の人の迷惑が増大する可能性もあるからである。

例のサンデル教授の「これからの正義の話をしよう」のレクチャーのように、ハーバード大学の授業は「何が正義か」、「誰の主張を通すことが世界中の人のためになるか」というようなことをまず議論する。
前にも書いたが、NHKテレビでやっていたサンデルの授業は、人種や主義主張の違う生徒が激しい議論を行う場である。
このような議論を経て、自分の意見を通すことが正しいという確信を得た人だけが、説得術で回りを味方に付ける権利があるのではないだろうか。
一般に、仕事上の取引や、近隣トラブルなどは、正論を言っている方がまず勝つし、勝つべきである。
どちらが正論と一概に言えない場合がもっと多い。
この場合は適当な落とし所で妥協スべきである。
よこしまな人が妙に口が回ったり、テコでも動かない場合は、付き合いじたい止めてしまうか、弁護士を挟むかするのが得策だ。
「自分の主張を通す」ためにもっとも必要なのは「妥当な主張を持つ」ことであって、それ以外の雄弁術のようなものは必要ないと思う。

「つまらない仕事を断って、やりがいがある仕事にありつく方法」というのをよく聞く。
しかしこの場合、この本の読者がやりがいがある仕事にありつくことが、本当にいいことかが分からない。
「雑用は他の人に振って、自分は本質的な仕事に集中するようにしましょう」と堂々と書いている本もあるが、同様の疑問を持つ。

まあ、ある人にとってつまらない仕事だったものが、他の人にとってはやりがいがあるかもしれないし、そんな自己啓発書を読んで「何がつまらない仕事か」、「自分にとってやりがいのある仕事とは何か」を考えるほどの人であれば、他の人よりも多少好きな仕事を選ぶ優先権を与えられてしかるべきだという考え方もなくはないかもしれない。

ただ確かなことは、「つまらない人は雑用に徹して、才能のある人の邪魔をしないように黒子に徹しましょう」という本が出版社の企画会議を通ることは、絶対にないということだ。
「自分の主張を通す前に、自分の主張が通ったほうが、会社全体、社会全体のためになるかじっくり考えましょう」とか、「ライバルの言い分が正しいのではないか冷静に考えてみよう!」などという本が出ることもまあないと思う。

つまりこういうことだ。
こういう本というのは、「その本に本当のことが書いてあるか」、「その本の主張があまねく広まったほうが世の中のためになるか」よりも、「その本が読者の気分を良くするか」、「その本が読者を、読んでいない人に対していかに優遇するか」ということが重要視されている。

真理を究明するための本とはこの点で大きく異る。
だから「ライバルに教えたくない××法!」などという浅ましいタイトルの本が出るのである。
本当に読めばためになる本なら、みんなが読めばいいはずだ。
それで社会の効率が上がれば、みんなが幸せになって、世の中明るくなっていいじゃないかと、ぼくは思う。
しかし、世間のハウツー本を出している人の一部は、自分だけが賢くなり、敵には愚かなままでいて欲しいという利己的な考えを持っている。
それでは仕事術以前に、人生いかに生くべきかという根本の部分での省察が欠けており、そういう人が少々仕事術なんか工夫しても幸せにはなれないと思うのである。

先日病院の待合室でこういう本をパラパラ見ていたら「パソコンはいちいちマニュアルを見たり、本を見て勉強すると時間が掛かってしょうがないから、得意な人に任せましょう。そばに得意な人がいたら、すぐに聞けるようにしておくのが最も早道です」というようなことが書いてあって、お前か!と思った。
パソコン技術者や、「得意な人」が、そうではない人にいかに「無料のサポートセンター」扱いされることで、時間と精神をすり減らしているか。
こんな「ハウツー」は誰の人生も豊かにしないのである。

コンピュータの修理をタダで引き受けてはならない10の理由 - ZDNet Japan