PC遠隔操作事件について、自分が理解しているところを簡単にまとめてみる。

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2012年に、脅迫状メールや、犯行予告掲示板書き込みが発信される事件が起こった。
犯罪被害を予告された人は警備にコストを掛けたり、イベントを中止したり、心身にストレスを感じたりしたので、これは一定の重大さをもつ犯罪である。

警察は当初、メールを出した人や、掲示板に書き込みをした人を、インターネット端末をある程度特定するIPアドレスという数値を元に調べあげ、容疑者4名を次々に捕まえた。
しかし、実は脅迫状や犯行予告は、それらの人のパソコンにこっそりインストールされたマルウェア(不正なプログラム)が自動的に発信していたものであった。
具体的には匿名掲示板を使ってパソコンが無人で指示のやりとりをしたりする相当複雑なメカニズムだったようだ。
とりあえず4人の容疑者はマルウェアを無断でインストールされ、脅迫状や犯行予告を送るための「踏み台」としてパソコンを使われて、最終的には無実の罪を着せられそうになった被害者であった。

しかし、警察はこの時点で無実の容疑者に苛烈な取り調べを行い、うちの2人からは「自分がやりました」というウソの自白調書を取るまでに追い込んでいる。
ウソの脅迫状を送られてイベントを中止したり、飛行機が飛べなくなったりするのも犯罪だが、無罪の人をしょっぴいて監禁、脅迫し、ウソの自白までさせるのも大罪である。

容疑者の一人は、「この子とは親子の縁を切る」という書類に父親が署名して、それを見せられて絶望した結果、自分が犯人であると「自白」している。
無実の人の親をたらしこんで、親子の縁を切らせるというのも相当凶悪である。
犯罪の解決を遅らせ、真犯人を利することにしかならず、「警察は悪意をもって犯罪の片棒を担いでいる」と言われても仕方ないのではないか。
脅迫状を書くためには2秒で250字書かなければならないという条件があって、「一心不乱に書きました」という「自白」をしたりしているそうである。
一心不乱すげえな。

しかし真犯人から遠隔操作の手口を明かされたため、無実の罪で拘束されたり自白したりしていた容疑者は拘束を解かれた。
警察は完全な赤っ恥である。

真犯人はマルウェアのソースをUSBメモリーに入れて雲取山という山の山頂に埋めたり、江ノ島の野良猫の首輪に仕込んで、それをマスコミ等にメールで送りつけた。
完全な愉快犯である。

結局この猫がUSBメモリーを仕込まれていた同じ日に、江ノ島に行ったところを防犯カメラに写されていたことがきっかけに、雲取山にも行ったことがあり、マルウェアを作成する能力もまあまあ持っていたと思われる容疑者を逮捕した。

しかし警察は決定的な証拠を持っていず、1年間勾留して取り調べを行った。

この時、司法は容疑者の母親に「親子の縁を切る」という調書に判を衝かせようとしたが、母親は拒否した。
日本の司法は親子の縁を切らせるの好きだな!
これ、法律的におすすめの良心的な捜査手法なのだろうか。
そんなはずはあるまい。
たとえ犯罪者であっても、自分だけは応援するというのが親心ではあるまいか。
こんなことをやってムリヤリ自白を引き出しても、正義に近づくことにならないのは、同じ事件の別の容疑者ですでに立証済みなのである。
警察は止めたほうがいいと思うよ。
法律で禁止したほうがいいんじゃないだろうか。
親子の縁を切らせると、どれだけ正義のためになるのか。
ぼくにはちょっと分からないのである。

結局1000万円の保釈金を母親が支払って、容疑者は釈放され、弁護士と共にマスコミに登場した。
数回の公判が行われた。
正直いって、面白い事件であるので、ぼくも江川紹子さんのブログや佐藤弁護士の記者会見を興味本位で見ていたが、公判が開かれるほどに明らかになっていくのは、司法がいかに決定的な証拠を持っていずに被疑者を一年間拘束したかということである。
まあ、警察にも能力の限界はあるから、決定的な証拠を得られないのは無理がない。
それだけ高度で複雑な事件であったということだ。
こんな複雑なハイテク犯罪であっても、常に知能犯を上回る専門知識を持つことを要求される司法の仕事はなかなか大変だと思う。
ぼくは、当然ながら犯罪には反対であるので、この点では司法を応援したい。

しかし決定的な証拠も持たずに、被疑者を延々と拘束できるというシステムには首をかしげざるを得ない。
犯罪者であっても人権はあるからである。
こういうことを書くと、最近は人権という言葉を蛇蝎のように嫌う人がいて情緒的に反論されることが多い。
犯罪者予備軍が町をふらふら歩いているのを放置するぐらいだったら、疑わしきは罰するで拘束しておいたほうがいいという考え方も、一定の見識ではある。
水戸黄門も必殺仕事人も、悪人を法律で裁けないなら超越的な権力や暴力で裁くしかない、という論理で作られており、一定の民衆の支持を得ているのだ。
しかし、この事件で分かることは、誰であっても被疑者にはなってしまうし、長期間勾留され、苛烈に尋問されて、場合によってはありもしない罪を「自白」してしまうということである。
この事件であれば、パソコンをネットにつなぎっぱなしにしてい、匿名の掲示板なんかにアクセスしているだけで被疑者に仕立てあげられてしまうということだ。

米軍基地の近所で、米兵が無辜の市民に暴行を振るう事件がある。
このとき、日本の警察が、日本人の容疑者と比較して、米兵の容疑者に強く出られないのは、「日本の警察は民主的ではない」とアメリカが主張するからだと言う。
日本人の容疑者を厳しく取り調べることで、米兵の容疑者に甘くしているとすれば、日本人にとって大問題ではないか。

パソコン遠隔操作に戻るが、司法側から「スラック領域」という概念が提唱された。
これは、パソコン(Windows)の、小さなファイルで大きなファイルを上書きした時に、前のファイルの残滓がハードディスクに残ってしまう現象で、容疑者のパソコンにこれによってマルウェアを作った痕跡が残ってしまったという。
しかし弁護側は、容疑者のパソコンも真犯人によって遠隔操作されていたと主張していたので、スラック領域に証拠ファイルの残滓に見えるものを配置したのもまた真犯人であると主張すれば、これも決定的な証拠にならない。
難しい。

これがさいきん思わぬ展開になった。
5月16日、容疑者が公判に出ているとき、大量のマスコミに「真犯人」からのメールが届いた。
数多くの秘密の暴露(犯人にしか知り得ない情報)があって、真犯人からのメールでしかあり得ない内容だ。
弁護側は真犯人が別にいることがこれで立証されたとして、起訴の取り消しを申し出た。

しかしこれがやぶへびで、15日に容疑者が荒川の河川敷にビニール袋に入れたスマホを埋めて、そのスマホからタイマー送信されたという。
警察は河川敷を不審にうろついていた犯人の動きをキャッチしていた。
その後警察は河川敷に埋められたスマホを発見して、(手垢から?)容疑者のDNAを発見したという。
容疑者はこのあと失踪し、弁護士も連絡を失った。
検察は容疑者の保釈の取り消しを申し出た。

ぼくはこの件にちょっといろいろ疑問を持った。
まず、警察は河川敷をウロウロしている容疑者を見ながら、スマホを埋めるところを放置していたのだろうか。
その場で速攻拘束してスマホを確保したら確実に逮捕できると思える。

たとえその場で容疑者をあえて取り逃がすことにしても、とりあえずスマホだけは確保できなかったのか。
16日にタイマー送信されたメールには、サリンの散布や、ケネディ大使への脅迫なども書かれていた。
書かれた方は大迷惑である。
重大な犯罪を犯す時限装置を、警察はあえて見逃していたのだろうか。

あと、土に埋めたスマホから確実にメールが発信できるものだろうか。
雨が降ったり川が増水したらオジャンである。
保釈中の被疑者がスマホを買うのもSIMカードを買うのも大変であろう。
どこかの建物にふっと置いておいて、また回収した方が楽な気がする。

また、そもそもなんでこんな狂言メールを送る必要があったのか。
裁判は被疑者有利に進んでいて、そのままダンマリを決め込んでいれば、どんなに濃いグレーであってもシロと見なすのが推定無罪の原則であるから、逃げ続ければ逃げ切れたかもしれない。
これに関しては、母親が「いつになったら安心して過ごせるのか」と容疑者にこぼしたために、つい焦ってメールを発信してしまったということである。
1年間無実の罪で収監されるよりも、シャバに出てきて多くの善意の支援者や家族や興味本位のマスコミに、矛盾のない話をニコニコする4ヶ月間の方が辛かったということだろうか。
不思議だ。

でも河川敷にスマホを埋めてタイマー送信したことは事実だったらしい。
容疑者は警察がスマホを確保したという報道を見て、慌てて逃げ出した。
本人が弁護士に語ったところに因れば、缶チューハイを5本買って酩酊しながら、死に場所を求めて夜の高尾山を彷徨したと言う。
ベルトで首を吊ろうとしたが、ベルトが切れてしまい、また新しいベルトを買ったり、ネクタイを買ったりしたが、死にきれなかった。
結局駅のプラットフォームの横から線路の横に降りて、電車が来たら飛び込もうと思っていたが、飛び込めず、ここから弁護士に電話をした。

このとき警察は尾行してなかったのだろうか。
まあ高尾山を放浪する人をずっと尾行するのも大変か。
でももしできれば、電車に飛び込み自殺をしそうな人は取り押さえてやったほうがいいと思う。
もし飛び込んでいたら大惨事だ。

一連のスマホ埋め込みタイマー送信騒動を見て分かるのは、警察もそれほど無能ではないし、かといってめちゃくちゃ有能でもないし、また容疑者も完全に合理的な行動を取るわけではないと言うことだ。
ツイッターで誰かが発言していたことだが、探偵も悪人も叡智を競う推理小説とここが違う。
ぼくは猟奇趣味と判官びいきで、ワクワクしながらこの事件をミーハー的に追っていたが、この流れを見て、はっきり言ってガッカリした。
容疑者の人に、無意識に「肩入れ」していた自分の愚かしさを反省し、あんまり真剣に、こんな事件の報道を読み込むのも時間の浪費であるとも思ったのである。

しかし弁護士は投げ出さない。
容疑者の話を聞いて、とりあえず自殺を思いとどまらせて、翌朝事務所で話し合った。
そして、容疑者から「自分がやった、先生を騙していた」という言質を取ると、すぐに検察に電話をして「容疑者が犯行したと主張しているので拘束してください」と言ったという。
弁護士というと、金をもらって犯罪者を助ける悪い人という言い方をする人もいるが、とりあえずこの弁護士はそうではなかった。

大岡昇平の『事件』という小説に、「日本の裁判は検事と弁護士が言葉尻を取り合って争うものではなく、裁判官が両者に協力させて事件の真相を解明する手続きである」という意味のことが書いてあった。
本当かどうか浅学にして知らないが、それを思い出させる。

弁護士はかつて幼女殺人事件で新しいDNA鑑定によって死刑囚の無罪を立証した人であった。
容疑者は「先生を解任して、国選の弁護士にしてもらう」と言ったが、「ぼくはあなたを見捨てないよ」と言ったということである。
「最初に犯行を否認していた依頼人が、実はやってました、と言ったことは、何回もある」ともマスコミに語っている。
大変な仕事であると思うが、この弁護士をぼくは尊敬する。

残された容疑者のスマホを、弁護士が開けてみると、そこには母親からのメールが届いていて、「たとえあなたが犯人だったとしても、あなたを受け入れる」と書いてあったそうだ。
これを新聞で読んで、しょうじき涙が出た。
漫画『ゲゲゲの鬼太郎』で、鬼太郎が木になってしまった話があって、鬼太郎のチャンチャンコと同じシマシマの模様の木が花を咲かせたのを見て、目玉のオヤジが「親は、子供がたとえ木になってしまっても、生きてさえいれば、うれしいものだ」というエピソードを思い出した。

この一連の犯罪において、犯人が送信した文章を読むと、犯人は人権を軽視する今の日本警察を憎んでいるとおぼしい。
それには一定の論拠があるかもしれないが、最も人権を軽視し、嘲弄しているのはこの事件の犯人である。
ぼくは上の文章で、警察が無実の人を監禁して「自白」を引き出しても正義に近づくことにはならないと書いたが、この事件の犯人の行動も、当然ながら全然スカッとしないし、面白くない。
こんなことをやっても、「本当に悪い人」は少しも困らない。
弱い人が不当に苦しみ、警察が不当な権力を身につけることを助けるだけである。
もし世の中に不満があれば、正々堂々と主張すべきだ。