中原弓彦は小林信彦の若いころの筆名である。
ぼくはこの人の小説が好きで、ほとんど読んでいたはずだが、デビュー作のこの小説だけは読んでなかった。
Amazonで当たると、安い古本があって、あっという間に取り寄せることができた。
Amazon様さまである。
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ぼくは小説家ではたぶん小林氏が一番好きだ。
ものの見方に多少、かなり、見解の相違があるが、文体がクールで、正確で、難しくなく、すらすら読める。
「見解の相違がある」ことが明確に分かり、それでも読み続けることが出来る文章であるところがいい。

小林氏の小説ではもう一冊、「冬の神話」という作品も手に入らなくて、これもAmazonで買った。
集団疎開と子供同士のいじめの話で、凄絶な小説である。

「虚栄の市」はそれに対して華やかな小説である。
1960年代、テレビ草創期に、芸術家や文筆家が集まってきて、しのぎを削る様子が描かれている。
小林氏は、青島幸男、前田武彦、永六輔と並んで「多角経営派」、「職業不定族」と言われて、作家とタレントを兼任していた時期があった。
この小説はその時期をモデルに描かれた小説だが、現実よりもだいぶ毒々しく描かれているようだ。

最初に「ヒーローのいない小説」と但し書きがある。
群像劇であり、冒頭40ページに15人ぐらいの人間が出てくる。
紙に登場人物の名前と職業をメモしながら読むのがいい。
登場人物の俗物っぷりが凄まじい。
「ここ(集まりの二次会)に残った者が、自分を除いては、すべてひどいスノッブである、というのが彼らの共通の信念であった」
という文章が象徴的だが、ここまで俗物的だと逆に超俗的なものを感じる。
この人はあの人かな、といろいろモデルを想像するのも楽しいが、本当にこんな人たちはおらんかったやろう〜

いろいろと文体の冒険が行われている。
後に小林氏が著した小説論「小説世界のロビンソン」を、ぼくは先に読んでいたので、その中で紹介された漱石やフィールディング、サルトルなどの技法が次々に「虚栄の市」に出てきて、興味深かった。
まったく違う場面が文章を連ねて描かれたりする。
これはサルトルが「自由への道」で用いた手法で、「ロビンソン」の中では「映画のフラッシュバックを思えば、それほどのことではない」と書かれているが、「虚栄の市」でもそれが効果的に使われていて、感動を覚えた。
内容ではなく手法に感動を覚えるのはめずらしい。

後に小林氏は同じ時代を背景に、江戸川乱歩のもとで「宝石」、「ヒッチコック・マガジン」を編集し、宝石社を退職に追い込まれるてんまつを織り込んだやはり自伝的な小説「夢の砦」を書く。
こちらの方がやや現実的で、読み比べるのも面白い。
「夢の砦」の後半で登場人物の一人が描いている「現代を風刺する純文学作品を書いている」というのが、どうやら「虚栄の市」に当たるらしい。
また、「虚栄の市」に出てくる「夜の会」が、「夢の砦」には「遊びの会」として出てくる。