「マイルスはこの順番に聴け」の第4回である。

マイルスのアルバムというと、末期はマーカス・ミラーが、中期から後期はテオ・マセロがプロデューサーとしてクレジットされている。
特にテオ・マセロ期は長い。

テオ・マセロはダスティン・ホフマンの映画「卒業」や、角川映画の「復活の日」の音楽も担当した人だ。
自らもサックスを演奏し、マイルスの「オン・ザ・コーナー(Amazon)」でも演奏が聴ける。(らしいが、どこを吹いているかはよく分からない。このアルバムもものすごいアルバムだが、初心者には雑音にしか聞こえないと思うよ!w)

「マイルス・デイヴィス『アガルタ』『パンゲア』の真実(Amazon)という本では、テオが「卒業」で大ヒットしたためにスタジオを自由に使えることになり、その結果マイルスの数多くの名作が生まれた、という話が書いてある。

マイルスのアルバムは、このテオがバンバン編集することで有名だ。

特にデジタル編集がなかったころのアルバムは、文字通りハサミでテープを切ってスプライシング・テープという一種のセロテープで接続する作業が行われていた。
マイルスのアルバムの中でも特に中期のスタジオ盤の名盤である「ビッチェズ・ブリュー(Amazon)」(ちなみにBitches Brewは英語として正しくはビッチズ・ブルーらしい)や「ジャック・ジョンソン(Amazon)」は音楽が途中で急に変わる。これを嫌うファンも多い。

しかし、前にも書いたが、テオに編集を任せているのもマイルスなのだ。この切れ目もマイルスの意思である。Miles Davisと名前のついた、彼の著作物であるレコードには、テオの編集、切れ目が入っている。これも含めてマイルスの意図した芸術と思うべきであろう。

すでにこのコーナーで扱ったオフィシャル盤「We Want Miles(Amazon)」とブートの「Parisian Night」を聞き比べると、その差は歴然で、テオが長い復帰後のマイルスの、必ずしも体調が万全ではなかったライブ演奏を、いかにカッコよく、本来の意図通りにつないでいるかが分かる。

もっとも有名なのは「ジャック・ジョンソン」であって、これはジャック・ジョンソンという黒人ボクサーの伝記映画(同じ名前の歌手もいるけど別の人)を作るにあたって、製作者が「3千ドルしか出せないんですが」と言ったところ、マイルスはそのうちの1500ドルを取り、テオに残りの1500ドルを渡して「俺のスタジオのストックを適当につないでカッコイイ音楽を作れ」と言ったそうだ。それで本当に傑作アルバムが出来たのだからすごい。

ちなみに、「ビッチェズ・ブリュー」も「ジャック・ジョンソン」も、マイルスの遺族によって未公開、未編集の演奏を集めたボックス・セットが出ているが、生前のテオはこれらのボックスを「ゴミ」と呼んでいたそうだ。
自分が、マイルスの命を受け、心血を注いでマイルス・イズムを凝縮していた過去の名作にケチを付けるようなボックスも、テオが異を唱えるのは当然であって、その権利があるだろう。

とは言え、マイルス好きも病膏肓となってくると、市場に出る前のマイルス、生マイルスにも触れたいのが人情である。
で、どうするかというと、両方聴く訳である。


オフィシャル盤「ライヴ・イヴィル(Amazon)」は、マイルスが1970年、ボストンの「セラー・ドア」というクラブで4日間において行ったライブを編集し、短いスタジオ録音の曲をインターリュードのように挿入した2枚組の大作である。

主な特徴としては、マイルスがエレクトリック・トランペットにワウワウを付けて吹いていること、キーボードがキース・ジャレットであること、ベースがマイケル・ヘンダーソンによるエレクトリック・ベースであること、そしてエレキ・ギターのジョン・マクラフリンが参加していることだ。マイルスの作品ではもっともロック色が強い作品のひとつだ。

特にキースのエレクトリック・キーボードが聴けるのが、キースのキャリアの中でも貴重である。この時の彼は、B-3ハモンド・オルガンを左側に、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノを右側に、V字に配置して弾いている。

よくマイルスが「俺のキーボードでもっともすごいのはキースだ」と言ったとか、このセラー・ドアでのセッションの後にキースに「天才になった気分はどうだい?」と尋ねたという話が伝わっていて、そんな話自体はもちろんイイ話だと思うけど、やたらキースをブランド的に持ち上げる(そしてハービーやチック、ザヴィヌルを不要に貶める)ためにこのマイルスの言葉を援用してブログを書いている人が多く、それは考え物だと思う。というのは、とかく西洋人は褒めるものだからだ。

なお、ギターのマクラフリンは最終日の4日目だけ参加している。
最初の3日の演奏がどうも物足りなかったマイルスが急遽呼び寄せたという話も伝わっているが本当だろうか。

さて、この「ライヴ・イヴィル」はとにかくテオ・マセロの活躍が目立つ。
まったく違う曲の部分をはぎ合わせて曲を作ってしまっているのだ。
しかしまあ、それだけであれば他の有名なアルバム、「Bitche's Blew」や「Jack Johnson」も同じである。
問題は、このアルバムがライヴ・アルバムであり、しかもそれらのコンサートが丸ごと未編集でリリースされていることである。



その名も「Cellar Door Sessions 1970 (Amazon)」、泣く子も黙るCD6枚組みだ。6枚組のCD買ったことありますか。しかも同じ編成のコンサートが3日分、昼の部と夜の部6セットである。

実際には4日間、8セット行われたそうだが、うちの6セットだけが入っている。また、1枚目のド頭の「Directions」がフェードインだったり、上にも書いたが最終日しかマクラフリンのギターが入っていなかったりする。曲目も日によって違う。とりあえず「Directions」と「What I'd Say」が各5バージョン入っている。

普通は同じコンサートのライヴ・アルバムを6バージョンも欲しくない。同じ曲を5回も聴きたくないであろう。演奏も冗長だったり、ミスタッチも当然入っている。マイルスはこれがこのまま世に出ることを想定していなかっただろうし、テオ・マセロもこのボックスはゴミだと思っていたのではないか。

しかしながら、ぼくはこのボックス・セットが非常に好きだ。
一晩のコンサートの脈絡があるので音楽の流れがむしろ理解しやすい。
珍プレー的な面白い演奏もたくさんある。
特に面白いのが「What I'd Say」でミノ・シネルがマイルスのトランペットに合わせて「ピー!ピー!ピー!」とホイッスルを吹くところだ。
(ちなみに、この「What I'd Say」はプリンスの「Beautiful Night」、ウェザー・リポートの「Two Lines」と並んで世界三大ノリノリ音楽とぼくは個人的に呼んでいる)

そして、同じ曲のバージョン違いを聴き比べたり、iPhoneの機能を使って同じ曲だけのプレイリストを作ったり、一人でイントロ当てクイズをしたりすることが、どうしようもなく楽しいし、曲についての理解が深まる。

ぼくはこのブログで、同じ曲のバージョン違いを聴くと理解が深まる、と何回も書いているが、音楽ってそんな研究や勉強みたいなことをして「理解」しないといけないものだろうか。
実際には、そんな必要はないと思う。
ただ、そういう比較研究がぼくには楽しいし、そうすることが、ジャズのような小難しい音楽を理解するために、非常に助けになったので、読んでいる方も、ぜひ機会があったらこの聴き方を参考にして欲しいと思う。

なお、「セラー・ドア」のブックレットには、どの演奏のどの部分が編集されて「ライヴ・イヴィル」になったのか、種明かしが解説されている。また、キース・ジャレットの書いた文章もあるが、キースはこの中で、1970年代のマイルスを批判したマーカス・ミラーを再批判していて、これも面白い。

「セラー・ドア」ボックスにあって「ライヴ・イヴィル」にないものはこのキースの長大なソロであって、これが非常に面白い。ボックス全部通して聴くとキースのアルバムではないかとさえ思う。上にも書いたが、キースのエレキ演奏はこの後影を潜めるので貴重である。

ということで、ぼくのお勧めはセラー・ドア・ボックスの方である。機会があったら是非お聴きください。値段も8千円前後とそれほど高くない。
それから、テオ・マセロの編集版も聴き比べる価値がある。急に音楽が変わったりするのが、またカッコイイのである。

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