都知事選は原発で盛り上がって、賛成にしても反対にしても盛り上がるのはいいことだ的なことをせんじつ書いたが、もう一つ争点にして欲しいことがあって、それは新国立競技場建設の是非である。

新国立競技場は実に(悪い意味で)SF的な建物である。
近所の緑地、あのコンクリートジャングルの中で奇跡のような神宮の森をぶっつぶして、いかにも無駄が多そうな、変な形の建物を建てようとしている。

20140123_shinkokuritsu


すげえな。
映画「ゴジラ2000(ミレニアム)」で新宿のビルの上に降り立ったUFOそっくりである。
六本木の駅で降り立つといつも、首都高の高架が目の前を圧迫して、空がない、と思う。

Roppongi-Japon24

上京したての時、ロッポンギに行くぞーと思っていて、あの風景を見てゲンナリした。
新国立競技場もこんな感じになるらしい。
日本でも有数の癒しスポット明治神宮が、駅を降りた瞬間に巨大な陸上競技場の壁で目の前を圧迫される場所になる。

新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 8|建築エコノミスト 森山のブログ

そんなに陸上競技って何万人もの人の景観権を奪ってやらないといけないことなんだろうか。
(上の森山さんのブログでは、今の神宮競技場を普通にリフォームすれば開催できる、という主張である。)

最近の自民党の人の主張を聞いていると、オリンピック開催に備えてテロ対策のために共謀罪を創設しようとか、

共謀罪の創設、安倍政権が検討 五輪に向けテロ対策強化:朝日新聞デジタル

オリンピックを開催するのに原発を止めたら電気が足りなくなるとか、

「原発即ゼロ」なら五輪返上しかない…森元首相 : 東京五輪2020 : 五輪 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

すごいことになっている。

何か勘違いしていたらあらかじめお詫びするしかないが、オリンピックって要するに大きな運動会であろう。
まあ大きな運動会なんかやったら、みんな楽しい。
それは認める。
しかし、国民生活に制限を掛けて、国民総動員でやらないといけないものだろうか。

日本は1964年の東京オリンピックの「成功体験」が忘れられないと言う。
1664年には首都高も出来たし、新幹線も出来た。

しかし、その頃から批判はあった。
しつこく書いているのが小説家の小林信彦氏である。
彼の作品にはよく「オリンピックが来るなら東京から疎開する」という描写が出てくる。
どのエッセイであったか、出典が出てこないが、オリンピックに代表されるような東京の乱開発は、しょせん東京を金儲けの道具、立身出世の踏み台に過ぎないとする、(維新時代からの?)田舎者の発想だという。

日本橋は昔はこんな感じだった。

Hiroshige01 nihonbashi

今はこんな感じである。

Nihonbashi 12

昔の、どこからでも富士山が見えた東京は、もうない。

こういう建設を税金で続けるのは良くないと思う。
空を見上げる自由をどんどん奪われたら、人間は疲弊する。
昭和元禄の時代のようにモーレツに働く若者はもういない。
結局「若者の東京離れ」「日本離れ」が起こって、元も子もなくなるのではないか。