ぼくの本業はコンピューターを使うことだ。
コンピューターは、おおまかに言うと、命令をキーボードやマウスで与えると、何らかの動作をしてくれる機械である。
間違った命令を与えると、何もせず、エラーメッセージが出る。
あっそうか、と思って命令を入れ直す。

Print-error
困るのが、間違った命令であっても、間違った命令なりに何らかの解釈が成立してしまって、予想外の動作がしれっと行われることだ。
コンピューターがフリーズしてしまう、電源が落ちてしまうというわかりやすいエラー現象であれば、直そうと思う。
もっと困るのが、微妙な間違いだ。
しれっと一桁多くお金を振り込んでしまったり、点滴の薬を10倍投与してしまったりする。
最悪、人が死ぬ。

だから普通は、ひどい間違いを受け付ける前に、本当にいいんですかと警告を出すようにプログラムを作る。
また、プログラムを配布する前に、ありがちなパターンを考えてテスト実行する。

エラーも、警告も、テストもなしで、自分の命令がバンバン実行に移されるのは、コワいことである。
人間は間違う動物だからだ。
人も怖いけど、自分も怖い。

検事や裁判官も間違いをおかす。
容疑者はおおむね法律に詳しくなく、検事や裁判官ほど口が回らない場合があるので、弁護士を雇うことが許されている。
検事や裁判官は正義を行うのが存在理由であるが、正義に発した行為で合っても間違いは生じる。
だから弁護士が必要であり、勘違いの正義から無実の容疑者を救うこともままある。
だが、政治家が有名な事件の弁護士のことを堂々と批判したことがあった。
チェック機関としての弁護士の存在理由を、政治家が公然と貶めている。
この発言は新聞沙汰になった。

生活保護の不正受給について、政治家が発言したこともあった。
「生活保護を受けるのは恥ずかしいと言う自覚を持って欲しい」
エッそれ本当?
不正受給を受けるのは当然恥ずかしい。
それは万引きや脱税や不正献金の受領や年金の未納と同様に恥ずかしい。
しかし、それまで普通に税金や国保や年金を払ってきた善男善女が、運悪く貧乏になったときに、基本的人権を叶えるために法律で決まったお金をもらうのは恥ずかしいか?
ていうか、なぜ政治家が国民に「恥ずかしいという気持ちを持つこと」を「希望」するのだろうか。
政治家が国民に要求するのは、納税をはじめ、法律で定められた義務を履行することだけである。
気持ちの問題までご指導いただかなくても結構だ。

ハンザイシャの肩を持つ弁護士はけしからんとか、生活保護なんかもらう人がいて真面目に働いている人はバカみたいだとか、そういう意見は確かに床屋とかタクシーで聞くことが出来る。
インターネットでも散見されるし、何なら自分でも酔っ払うと言ってしまうかもしれない。
しかし、国会議員が公の場で口走ってしまうのは別の問題だ。
なぜこんなに、インスタント評論家のように、法律に書いていない言葉でバンバン国民を「斬る」政治家が増えたのだろうか。
言論の軽さを感じる。

非嫡出子の相続差別について、裁判所が憲法に基づいて民法を改正するように判決を出した。
それに対して一部の国会議員が「司法の暴走だ」と批判した。
これはおかしい。
国会議員は裁判所の決定を下に見ていることになる。
民法と憲法との齟齬があると裁判所が決定したのだから、粛々と従うか、憲法を変えるかどっちかである。

一票の格差を巡っても、裁判所がさんざんおかしいですよ、憲法違反になりますよと言っているのに、いっこうに是正しようとしない。
法律というのは信念があれば従ったり従わなかったり出来るものなのだろうか。
そんなこと全国民が言い始めたら大変だ。

国会は立法府と言って、法律を作るのが仕事である。
出来た法律には、他の国民同様従う義務がある。
国会議員であっても間違いをおかすから、裁判所は国会と同じ権利を持って、チェックしている。
それが日本という民主主義社会の仕組みである。