最近は会社に隷属している日本のサラリーマンのことを「社畜」と呼ぶのが流行っている。
イヤな言葉だ。

こういう、不用意に激越な言葉、不愉快な言葉を言ってしまい、レッテルの貼り合いで終わってしまうのが、最近の若い人のネット文化のイヤなところである。
真面目な議論が成立しなくなってしまうのだ。

話はそれるが、iPhoneの製造上のバラつきによって現れると言われる(ぼくは確認したことがない)黄色い液晶のことを「尿液晶」というのはもっと嫌いだ。
ネットの掲示板に向かってそんな言葉を打ち込んでいる心の闇を想像するとイヤな気分になる。
なぜiPhoneの話をする掲示板でそんな言葉を見なければならないのだろうか。

もともと「社畜」という言葉は評論家の佐高信氏が、一部の会社の過重な労働などを評して、会社や社会を批判する文脈で使っていた言葉だと記憶している。
しかしそれを、今では世間の人が会社員個人を侮蔑するために使う。
 ・起業も転職もせず、1つの会社にしがみついている
 ・発言も自己決定もせず、上司の言うままに残業して疲弊している
 ・会社がなくなったら進退窮まってしまう
ぐらいの意味であろうか。

しかし、こういう純粋な社畜は多分に想像上の存在である。
少なくともぼくの周囲に関して言えば、仕事上や個人的な付き合いのある会社員に、純粋な「社畜」は一人もいない。
みな一人ひとり自分の意見やヴィジョン、哲学や趣味を持った存在であって、それぞれの考えで会社員という立場を利用している。

ぼくはと言えば、長年会社にドップリと使っているが、今の立場をとくにストレスに感じたことはない。
毎日好きなパソコンを触って、下手な英語を練習できてハッピーである。
もちろん、生きていれば、細かいストレスや厭世観にとらわれることはままある。
でもそれは、自分の問題として解決するようにしている。
たとえ、フリーランサーであったとしても、社長であったとしても、アーティストや国王であったとしても、何かしらストレスはあるだろう。

昔の歌で、野良犬は自由だから王様より偉い、というのがあった。
でも考え方としては面白いが、野良犬や乞食と言うのは、ものすごくストレスフルな生き方であろう。
寒さや警官におびえて夜道を歩く。
サラリーマンの数百倍は疲れるのではないか。



では社長はどうか。
最近の研究結果で、社員で一生を終えた人よりも社長になった人の方が寿命が長いと言うものがあった。人に小突き回されるよりも、小突き回したほうがストレスがたまらなく、健康にいいという。
しかしこれも疑問である。
大会社の社長でも、顧客には頭を下げなければならない。
平社員であれば多少しくじってもゴメンナサイで済むことが多いが、社長がミスを冒せば会社の存亡に関わる。
どちらがストレスが大きいとは一概に言えない。
もし社長が長生きするとすれば、度胸がある、腹を括っていると言うことの方が大きいのではないか。

結局、自分の人生自分が主人公だと思えるか、腹を括って自分の人生を制御できているかが大きい。
それが出来ていれば、会社員でも自己実現している人はいっぱいいる。
ベタな例としては、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏は一介のサラリーマンであった。
あんなスーパーサラリーマンはそうそういないだろうが、生半の「起業」よりもはるかにクリエイティブな生き方であることは疑問の余地がない。

同僚が昔コカコーラについてくるドラゴンボールのフィギュアを集めていたが、会社のモニターの上に乗せていた。
すると、コカコーラは飲むけどフィギュアなんか集めないという人が、フィギュアをどんどん持ってきて、数日でフルコンプしてしまった。
まったく違う部署の人が、何の善意も悪意もなく、半ば無意識に、付録のフィギュアを無言で持ってきて、カタンとモニターの上に置いて行くのである。
変な例だが、ぼくはこういうところに会社の底力というか可能性を感じる。
まったくの他人が、それぞれ異なる得意分野や趣味嗜好を持ち寄って協業しているところに、面白さを感じるのだ。
ちょっとずつ力を持ち寄れば、とんでもなく大きなことが出来るのだ。

もちろん起業は起業で面白いが、会社員も面白くなりうる。
最近の用語法で言う社畜という言葉は、あまりにも的外れであると思って、あえて贅言を弄した。

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