連載の第19回。







丸谷才一氏が亡くなった。
心からご冥福をお祈りします。

私淑する巨匠であり、非常に影響を受けた。
今日は兼業ライターシリーズということで、文章を書く上で役立ったエッセイ、論文について書く。
まず『文章読本』である。
同じ題名の本は数あるが、結局最後まで読み通して、何度も読み返すことになったのはこの一冊だけである。

丸谷氏と言えば旧かなづかひであって、新カナで文章を書く身には互換性がないのかなと思う。
しかし、読んでみれば杞憂であって、まったくすらすら読めるし、自分の作文に役立つアドバイス満載である。
あまりにも腑に落ちるので、自分も旧かなに変えてみようかと思ったりもした。
(しかし、さすがにそれは勇気がなくて止めた)

特に覚えているのは最初の「ちょっと気取って書け」である。

よく「本音で書け」とか「気取って書くな」と言われる。
でも本当に思いのままに書いてみると、思いのほか文章というのはまとまらないものだ。
ある程度気取って(気負って、というべきかも知れない)書かないと、かえって本音にならない。
だらだらと書くと、自分でもつまらなく、かえって達意の文章にならないのである。
宴会でスピーチをするぐらいの、パブリックな心構えがないと文章にならないのだ。

もう一つは「序論・本論・結論という構成は使えない。起承転結の方がいい」と言うことだ。
これは意外な気がしたが、本当にそうだ。
ぼくなんかの例で済まないが、次のツイッターの文は起承転結になっている。


(起)これから運動に行くけど、チョコを食べるなら今らしい。
(承)脂肪を燃やすために運動するのだが、
(転)脂肪を燃やす前に少し炭水化物を取るのが、薪を燃やすための「焚き付け」と同じ効果があるのだ・・・
(結)ま、食べるって行ってもチョコッとだけ

という感じだ。
これは意識してやっていると本当に腑に落ちる。

この本の最後には「まず書きたいことがあって、はじめて筆を執れ」と書かれている。
これも最初は意外な気がした。
丸谷氏と言えば筒井康隆氏の先駆者と言えるぐらい文体の冒険の第一人者であって、何を書くかよりもいかに書くかが重要だと思っているのかと思ったのだ。
正直、ピンと来なかった。
しかし、こうしていろいろ文章を書いて世に問おうとしていると、「自分で書こうとも思わない文を書いてはいけない」ということと「書きたいと思うことがないのに、なぜ人間は(自分は)どうしようもなく文章を書こうとしてしまうのか」ということをつくづく思う。
「文章読本」を高校時代から何百回も読み重ねてきて、初めて分かることがあるのだ。

『日本語のために』は高度な日本語論であって、正直これを読まないと文章が書けないというものではない。
内容は国語改革批判、国語教育批判であって、読んで義憤に思ったり、溜飲を下げたりする。
しかしこれも、何度も読んでいると、我が身を省みて役に立つことも多い。

全体として大きく共感するのは日本の国語教育は文学教育と混同されているということだ。
平明で、達意の文章を遺漏なく書くことは、文学とは関係ない。
特に日本の近代文学、じめじめと暗くて、ダメな男女が愛したり分かれたり、死んだりする本を読んで、付け焼刃でマネをすると、確実に文章が下手になる。
この呪いから解かれることが、学校で現代国語を習ったぼくたちにはどうしても必要だ。

上の「完本」は絶版となった『日本語のために』とその続編と言うべき『桜もさよならも日本語』からエッセイ部分を除いているようだ。
(「完本」は実は入手していない)
しかし、出来れば旧版も読んでもらいたい。
アマゾンで古本が簡単に手に入る。





エッセイ部分は主題部を基礎編とすると応用編、主題部を教科書とすると問題集のような部分であって、細かい文章から成っている。
これが、いい。
「このエッセイは前半のどの部分の例なのかなー」「このエッセイはどこで起、承、転、結が切れているのかなー」とあれこれ考えるのが楽しい。
まさに読書の楽しみである。

『日本で一番大切なもの』は大野晋氏との対談であって、正直高度過ぎてぼくには荷が重かった。
「文字コード【超】研究」を書くためにウンウンいいながら読んだのであるが、正直完全に理解したとは言い難い。
しかしながら、当然新鮮な発見が数多くあった。

日本語で一番大切なものとは何か。それはテニオハである。
簡単に言えば、このことについて書かれた本である。
そして、学校で習う英文法の影響を受け過ぎた国文法研究批判になっている。

たとえば「は」「が」は主格の格助詞ではない、と丸谷・大野両氏は言う。
そして「は」と「が」は決定的に違う。
このことを、俵万智の歌を使って掘り下げていく。
この冒頭の一章を読んだだけでも、本書を手に取る価値があった。

改めてこの発見の価値がしみじみ分かったのは、業務で日本語を英語にする機械翻訳の研究をしたときだ。
詳しくはそのうち書く機会があるだろう。

何十年経っても、年ごとに発見がある。
丸谷才一氏から学んだことは数知れない。

Subscribe with livedoor Reader
Add to Google
RSS
このエントリーをはてなブックマークに追加