先日神保町をぼんやり歩いていたら、妙齢の女性の方と鉢合わせになった。
よくあるパターンで、こちらが右に動こうとすると向こうも右に(向こうからすると左に)動いてすれ違えなくなった。



咄嗟に「あっスミマセン!」と目を見て笑顔で言うと、向こうも飛び切りの笑顔を返してくれて、ぼくがなんとなく手信号を出してすれ違った。
妙齢の女性の飛び切りの笑顔を見られたので、しばらく気分が良かった。

東京は特に異常なのだが、街で暮らしていると当惑するのが人間の多さ、そして、人間との距離の近さを感じる。
始終赤の他人とぶつかる。

ぼくはこういうとき咄嗟に「スミマセン!」と言って目を見てペコリと頭を下げることにしている。
向こうの人はぶつかった段階では「なんだよ・・・」「やんのかよ・・・」みたいな顔をしていることが多いが「スミマセン!」と目を見て言っただけで、急にフニャッとなって「いやいや、こちらこそ・・・」みたいな感じになる。

昔は「今ぶつかったという事故において、向こうと自分と、どっちが悪いか」「先に謝るのは武士の沽券に関わるのではないか」などと考え、素直に謝らなかった。
向こうが先に謝ったら「勝った」とさえ思っていたのだ。
割と最近までそうやっていきがっていたのである。

バカだ。
見ず知らずの人とぶつかって「勝って」もしょうがないのである。
たいていはどちらも謝らずに、気まずい思いですれちがって終わる。
見ず知らずの人であれば、どんどん勝ちを譲れば良い。
それぐらいで変なことにならなければ安いものだ。

狭い道で2~3人の人が前を、「Gメン’75」的な横隊になって歩いていることがある。



こっちの方が明らかに歩くのが速いのに、開けてくれないと、先に行けない。

こういうときどうするか。
もちろん「スミマセン」と言って退いてもらうのだが、このとき、昔のぼくは、いちいち「大の大人が横一列になって歩くのやめてくださいよ!」的なニュアンスで「ちょっとスミマセン!」と言っていた。

こういうとき、横隊で歩いていた人は、こちらの怒りにふれて反省し、「あっスミマセン・・・こちらが悪かった」的な顔をしてくれることは稀である。
たいてい「何が悪いんだよ!」「ちょっとしたことでいちいちうるせーんだよ!」的な顔でこちらを見て終わりである。
意地の張り合いになるのである。

最近は「ちょっと邪魔して申し訳ないんですが通してもらっていいですか・・・」というニュアンスで「スミマセーン・・・」と言うことにしている。
そうすると向こうも「あっこちらこそ申し訳ありませんでした・・・」という顔で「スミマセーン・・・」という言葉を返してくる。
あとくされがなくていい。

国民性や時代性もあるのかもしれないが、見ず知らずの人に対しては、早めに下手に出たほうが話が早い。
別に見ず知らずの人に自分の正当性や、相手がいかに傍若無人であるかということを知らしめる必要はない。
見ず知らずの人とそこまで深いコミュニケーションを取っても仕方がないのである。
せいぜい愛想良く、ニコニコしていれば良い。
それに付け入ってドヤ顔をしてくるような日本人はめったにいない。

自動車事故ほど重篤な事故であれば、不用意に口頭で謝ってしまえば、それで責任能力が生じてしまうという事情がある。
ただしこの場合は第三者(警察)の介入を求めるのが普通である。
どちらが悪いか厳密にはっきりさせる必要があるから、上の議論とは違う。

また、同僚や取引先などが相手であれば、明らかに向こうに問題があるのに不用意に先に謝ってしまうのも問題だろう。
これは難しい話になるからひとまず保留する。
でも日本人同士であればガンガン謝ってもそうそう問題にならない気がする。

ところで「スミマセン」という言葉は謝罪の言葉としては少しおかしい。
よく言われることだが、「謝ったぐらいでは済まない」という意味であり、謝罪の無効を意味する。
現実には「いやースマンスマン」と言うことで、「済ませて」しまう。
これはおかしい。

という趣旨の文を読んで(国語の教科書に載っていたと思う)、いたく感銘を受け、ぼくはずっと「ゴメンナサイ」という言葉を使っていた。
ただし、これもよく考えれば「許してくれ」という意味であり、相手に求めることがない。
「悪いことをしました」という意味の言葉があれば、それを使うべきだと思う。

ただ、日本語としてはあまりにも「スミマセン」が定着しているので、もはやそれが標準的な言葉だと思って使うようにしている。

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