面白い本を紹介するのコーナー。







本を探すときに、カッコいい本かどうかを考えるクセがある。
男の子にありがちなパターンだが、ぼくは推理小説やSFから小説に入った。 推理小説やSFはカッコよくて当たり前だから、カッコよさを味わうことが本を読むモチベーションの大きな一つになっている。

大人になってある程度内容のある本、文学作品を読むようになっても、カッコ良さがない本は読みづらい。
しかるに、文学的な本、それも日本の近代文学小説には、あまりカッコ良くない本が数多く存在する。
登場人物がメソメソしていたり、文章がグジグジしている。
暗く、スカッとしていない。
人が泣いたり、愛したり別れたり、死んだりする。
特に学校の国語の小説に出てくる小説がひどい。
あれは子供が本なんか読んで余計な知恵を付けるのを防ぐ陰謀、つまり愚民政策ではないだろうか。
この件に関しては項を改めて書きたい。

しかし、そういうカッコ良くない、スカッとしない本も我慢して読み続け、さすがにある程度面白いと思うようになったが、そのうちまた「内容がある本がカッコ良くてもいいんじゃないのか」、と思うようになった。

上に揚げた3冊は、文学の本としても第1級の傑作でありながら、少年の頃にワクワクして読んだ小説の「カッコよさ」が横溢した本だ。

大江健三郎は、文章が鬼のように分かりづらいことで有名だが、上の処女短編集は非常に分かりやすい。
後年のエッセイのように、あえて水増しで分かりやすく書いたわけではない。
硬質で、無駄のない小説群である。
ぼくがノーベル文学賞受賞者にアドバイスするのもヘンだが、こういう本をもっと書いてくださいよー。
ちなみに後年の「ピンチランナー調書」、最近の「河馬に噛まれる」「取り替え子(チェインジリング)」なども好きである。

安倍公房は、大江と並ぶ日本が世界に誇る文学の巨星であり、かつ、文章が大江に比べるとグンと分かりやすい。
完全にSFな「第四間氷期」「人間そっくり」などの作品もあるので、いまの40代以上のSFファンには安倍の読者が多いと思う。

ちなみに大江にも「治療塔」というSFを意識した作品がある。
大江、安倍という日本の文学史の中で孤高の存在だった小説家は、日本の文学史上異常に貶められているSFの世界に親しみを持っていたと思しい。
このへん、SF作家として名声を博しながら、その肩書きをウザがっていたカート・ヴォネガットの逆で面白い。

「方舟さくら丸」はいかにもSF的な、人類の終末を思わせる壮大なテーマのようだが、読んでみるとそうでもない。
とにかく無類の面白さなので、是非読んで欲しい。

大江、安倍の作品に似ているのは、翻訳小説の影響を受けた乾いた、透明感のある、硬質な文体だ。
これが、いい。
日本語臭いあいまいな、透明感のない文章は、本の内容に到達する前に文章のにおいに引っ掛かってしまうところがある。
これが日本に世界文学がなかなか生まれない理由ではないだろうか。

丸谷才一は、日本文学、世界文学の両方を専門家として勉強した、その研究結果としての文体の冒険を生かした作品が多い。
元祖・筒井康隆という感じだ。

「笹まくら」は明らかにグレアム・グリーンの作風を意識している。

イギリス人作家グリーンは、通俗小説(スパイ小説)を書く傍ら、文学作品を書いている。
晩年の秀作「ヒューマン・ファクター」は、両者を見事に止揚させた傑作である。



ちなみにこれはイギリスで実際に起きた二重スパイ、フィルビーを題材にしたものだ。
(グリーンもル・カレもフィルビーの元部下。つまり元スパイ)
「ヒューマン・ファクター」を、同じ事件を“反対側”から書いたジョン・ル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」と合わせて読むと面白さ倍増、だそうだ。
(「ティンカー・・・」はぼくは未読)



話を「笹まくら」に戻す。
これはスパイの話ではないが、物語の作りがスパイ小説である。
何か隠し事を持って生きている人の人生に、常に旅に出ているような漂泊感を感じる。
その味わいがこの小説の味わいである。
しかも、隠し事をしているのは主人公ひとりではない。

この本はめちゃめちゃ終わり方がカッコイイ。
日本文学の傑作として名高いこの本が、こんなにカッコイイ、あざといぐらいにカッコイイ終わり方でいいのかなと思ったぐらいだ。
是非読んでください。

ちなみに小林信彦氏による渥美清氏の評伝「おかしな男」も終わり方がカッコイイ。



この本の終わり方は「笹まくら」を意識したのではないかと勝手に思っているのだが、どうだろう。
この本全体も、渥美氏の、そして小林氏の、不安を抱いて生きる、漂泊感がいい。

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