「お客様は神様です」というのは三波春夫の言葉と言われる。


三波春夫自身が週刊誌に語っていたところでは、大阪の漫才師レツゴー三匹が三波春夫のモノマネコントをやっていて「三波ならこんなことぐらい言うだろう」と勝手に言い出したそうだ。
それをあまりにもお客さんから言われるので、自分でも言ってみることにしたそうだ。
最初は冗談で言っていたが、晩年には「本当にその通りだ」と思ったそうだ。

お客様は神様だ、という言葉を聞いて思い出すのは、数々の都市伝説を持っているアメリカのノードストローム百貨店だ。
「こういう商品が欲しいんですが」と店員に言うと、それがノードストロームにない場合は、どこの店にあるのか電話で調べ、その場所を教えてくれる、と言う。

これはあながち都市伝説ではないと思う。
ぼくは高校生のとき、大分のトキハデパートで同じことを経験した。
「知的生活の方法」「知的生産の技術」などを読んで「京大カード」を使ってみたくなったぼくは、トキハの文房具売り場で店員さんに聞いた。
店員さん同士いろいろはなし始めたので、ああやっかいなこと頼んじゃったかなあ、と思っていたが「○○堂にあります。噴水の横にある」と言って、簡単な地図を書いてくれた。

いま、この話を書いて思うのは、「○○堂」の名前も、店構えも、京大カードを売ってくれたときのこともすっかり忘れてしまったけど、トキハデパートの店員のこと、このとき地図をメモしてくれたことは、何十年か経った今もありありと思い出すということだ。

こんなことをしても、一円も得にならない。

ところが、この結果ノードストローム/トキハは、儲かるのだ。
というのは、一度こういうことがあると知れば、何かものを探すときまずノードストローム/トキハに行こうという習慣がつく。
いわば、街のポータルショップになる。
ノードストローム/トキハにある商品であれば、いつもよくしてもらってるから買ってやろうという気にもなる。

時給800円では客を神様扱いできない、という発言を週刊誌で呼んだが、出来るかどうかはさておき、するべきだ、「まずは」してみるべきだと思う。
そうやってがんばっていれば、店も儲かるし、自分のがんばりも認められて、どんどん出世するのである。

「こんなに店員が客にペコペコしてるのは日本だけ」という発言も読んだが、日本の接客は世界の宝である。
海外出張から帰るとしみじみ思う。
「日本だけすばらしい」となぜ思わないか。

接客がいいと、客は付け上がって粗暴になるだろうか。
ぼくは我が身を振り返っても、周りの知り合いを見ても、逆だと思う。
接客でよくされると、客も紳士的に振舞わざるを得なくなるのが実情ではないだろうか。

そして自分が本業で客に接するときも「客を(とりあえず)神様と思う」という姿勢になれば、「日本の商習慣では客を(とりあえず)神様と思うようにしている」という合意が形成される。
これは非常に住み心地がいい。
逆に、いちいち「時給に対して俺が客にすべき態度はどれぐらいか」「この客に、この時給で、それほどのサービスは必要ないのではないか」などと塩加減を計算するバイトがいるだろうか。
そのほうがはるかに疲れる。
客、神。
そう思って、マニュアル的にでも頭を下げているほうが効率的で、疲れないはずだ。

もちろん質の悪い客、筋の通らない客、店のコンプライアンスを破壊する客は別だ。
そういうのは邪神を祓うのと一緒で、真剣に対抗すればいいのである。

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