今日も自分が影響を受けた本について紹介する。
大学受験の参考書「なべつぐのあすなろ数学」である。
アマゾンだと中古品が9500円からとある。
もちろん9500円出して今この本を買う人はめったにいないだろう。
20年以上も前の学習参考書である。
しかし9500円で売っていることが、いかに名物参考書だったかを物語る。

学習参考書というのは悲しい運命を背負っていて、学習指導要領が変わればもう用済みになる。
高校数学で教えられる内容なんて、ニュートン、ライプニッツ、ユーグリッド、ガウス、オイラー他からそれほど変わっていないと思われる。
だが、なべつぐ先生こと渡辺次男氏の本が省みられることは、ああいう面白い予備校の先生がいた、あんな面白い学習参考書があったと思い出話として省みられることはあっても、この本が再刊して売られることもない。
その思い出話も、口伝として代々語り継がれるようなことはないから、たぶん俺たち「なべつぐ世代」(今の40代)が死に絶えてしまえば、完全に忘れられると思われる。
学参は完全な実用書であって、文学のように語り継がれる必要もないのかもしれないが、寂しいものだ。

ぼくは地方の学生であって、なべつぐ先生の講義を受けたことはない。
本同様、型破りな楽しい講義であったそうで、一度受けて見たかった。

さて本題の「あすなろ数学」であるが、まず装丁の型破りさに驚く。
ところどころ袋綴じになっているのだ。
これはどういうことかというと、問題が解けるまでは答えを見てはいけないということだ。
まず問題Aがあって、その解き方が示される。
そこでは、単純に解き方だけではなくて、こういう問題はこうするんだよという原則が占められる。
で、その原則を当てはめれば解ける問題が3問ぐらい出される。
それを解くまで袋綴じを空けてはならない。

解き方が分かればすぐ解けるというものではない。
数学だから大量の計算が待っている。
それを終えないと袋綴じが開けない。
なべつぐ先生がじりじりしながら待っているような気がする。

ようやく解き終わって袋綴じを切り開く。
ヤッター答えが合ってた!
的な。

受験生は孤独なものである。
だから孤独を紛らわすために、明らかに能率が落ちるのに深夜放送を聞いたりする。
あれはやめたほうがいい。 どうせなら、勉強している内容に沿った話を聞いて孤独を解消したい。
深夜放送で、関係ない冗談を聞きながら勉強しても、結局勉強にならないし、孤独も解消されないのだ。

今この文を書きながら気づいたが、孤独とは紛らわすものではなく、解消するものだ。
本当に孤独が問題であれば、友人や恋人、顧客や同僚、先生や弟子を探して、共通の目標を目指すべきだ。
キャバクラに行ったり、深夜放送を聞いたりするのは、どうせ後で前よりも寂しくなるのである。

急に文章が人生観のような変な方向に流れたが、なべつぐ先生の本にも人間いかに生くべきかという青春小説(教養小説)のような話が出てくる。
これは邪魔な無駄話ではなくて、必要なことだ。
受験生は勉強と同じぐらい人生についても悩んでいる。
勉強がうまくいかないと、こんな勉強してなんになる、という、ありがちな逃避的な疑問が浮かぶのである。
そういうときに、人生を説いてくれると、助かる。
悩みもスッキリするし、その結果数学の勉強も捗るのである。

今の高校生は、なべつぐ先生の後を次いだ学参を使って勉強しているのだろうか。
教科書が電子化され、インタラクティブな要素を持てば、もっと奥深いものが出来るのだろうか。
「なべつぐ」がぼくたちの世代に一時的に流行った、ちょっと変わった参考書としてこのまま忘れられるのであれば、あまりにも惜しい。

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