イジハピ!

TwitterID:@query1000こと深沢千尋のブログです。
You're not like me so I like you ♡
さいきんブログの評判が意外と気になるようになってきました。
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【第1144回】【雑談】「デジタル読書ってこんなに楽しい! ライトニングトーク大会」に参加した

もうだいぶ前の話になるが、昨年の9月末に、渋谷で開かれた、NPO法人日本独立作家同盟主催のイベント「デジタル読書ってこんなに楽しい! ライトニングトーク大会」に参加した。

電子書籍端末kindleとAtelier Popolo作品

日本独立作家同盟は、主に作家が集まって作った組織で、今のところ電子書籍自主出版の啓蒙、普及に力を入れているようだ。
今回のイベントも、KindleやKobo、iPhoneやパソコンで電子書籍を読むことが、紙の書籍に比べてどう楽しいかということを、みんなで語り合うイベントだった。
ライトニングトークというのは、主にコンピューターのコンベンションで使われる言葉だが、稲妻のように短い時間(おもに5分ぐらい)で言いたいことをババッというイベントだ。

ぼくは頼まれたわけではなく、自分で話したいから参加しますと言ってエントリーした。
しゃべると入場料が無料になる。
茶菓もついて、他の方のトークも聞けて、大変楽しかった。

この日のトークの内容を、すべて書き起こししているサイトがあるので、興味ある方はお読みください。
濃いよ。

第1回 デジタル読書ってこんなに楽しい! ライトニングトーク大会書き起こし

読み返して思うのは、カバンが軽くなる、古い本が絶版せずに残っているという「総論」から、Kindleがいい、Koboも意外にイイという「各論」まで、いろいろな視点があって面白いということだ。
一人の人が全部語ろうとしても、けっきょく偏ってしまうので、だったら大勢の人が5分ずつ、10何個も論を戦わせたほうが、全体像が浮かび上がってきて面白い。

ぼくはというとこのブログ「イジハピ!」でも何回か語っているが、「自炊」について語っている。
上のブログでも文字起こしされているし、YouTubeに動画も上がっている。
暇でしょうがなかったら見てください。



「自炊している本をどうしているか教えたい」 深沢千尋 第1回 デジタル読書ってこんなに楽しい! ライトニングトーク大会

自炊、それは一人暮らしの人が自分用にごはんを作ること、ではなく、本を断裁機でバラしてスキャナーで電子化し、強引に電子書籍にすることだ。

以前は本を千冊以上も所有していて、壁一面本棚で、部屋が狭くてひいひい言っていたが、全部自炊してしまった。
今も電子書籍で出ない本というのはあって、買ったら断裁してスキャンしている。

アマゾンなどで古本が1円で売っている。
じっさいには送料が掛かって3百円デコボコだが、それでも安い。
そんなの、いぜんは買っても読まないし、置き場所がないし…と思っていたが、今は「なくなる前に…」と思って買い込んで、バラしてスキャンしてしまう。
クラウドに何千冊も本がある。
楽しい。

この「自炊」、昔は一時的に流行っていたが、さいきんは下火だそうだ。
まあそうだろうな、と思う。
まあメンドクサイし、こんなこと変わった人しかやらないのだ。
どうせ本は電子が中心になるので、過渡期の、うたかたの趣味であろう。
でも、この過渡期がそうとう長くなると思われる。
電子書籍も思ったほどブレイクしないから、紙でしか出ない本が多いのである。
では紙書籍は売れているかというと、そっちもすごいスピードで売り上げが落ちているそうだ。
どうなるんだろうね。

なんか期せずして暗い文章になってしまったが、たまにイベントなんか参加すると、面白い人がいっぱい集まってきて、みんな本好きだし、本当に楽しかった。





【第1143回】【音楽】さいきんチェット・ベイカーさんを聴いている

YouTubeで、昔の動画を見ていたら、タモリさんがジャズを語るみたいな番組に、林家こぶ平さん(林家正蔵さん)が出ていた。
こぶ平さんというのは、落語家というよりゆるふわのタレントで、特に印象に残るネタも鋭いトークもなく(失礼)、あまり気にしていなかったが、この時のジャズ・トークがこだわりがあって面白かった。
いわく、ジャズはモダン・ジャズのコンボに限る、ビック・バンドは認めない、録音した年月日が分からないと気持ち悪い(!)ということだ。
録音した年月日が、というのが超オタク的で面白いが、その番組では深く聞かれなかった。
それで、ヴォーカルものも認めない、という話になって、タモリさんが「ビリー・ホリデイも認めないのか」と言うと「ビリーも、良さは分かるけど、(ジャズとしては)認めない」みたいな話をしていた。

まあこぶ平さんに認められようが認められまいが、人それぞれだから、いいと思うんだけど、ぼくはそのときもしその場にいたら、「チェット・ベイカーはどうなんですか」と聞いてみたい気がした。

"Chet Baker"
チェット・ベイカーさんはなんと言ってもトランペットの巨匠で有名だ。
50年台はマイルス・デイヴィスを人気投票で抜いたそうだ。
めずらしくウエスト・コーストで活動していて、ウエスト・コースト・ジャズの巨匠と呼ばれた。

この人が歌も歌う。
トランペッターで歌を唄う人はめずらしい。
とうぜん演奏と歌唱は同時にできず、歌の途中でトランペットを吹いたり、歌だけで終わってしまったりする。

この歌が、変わっている。
中性的なのだ。
この人の歌、特に、「恋をしらないあなた(You don't know what love is)」や、この人の絶唱で、曲の決定版と言われる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を、人に聴かせて、男か女か当ててみて、と言うと、「ううん、女って言えば女だし。。男って言えば男だし。。」としばらく悩むので、面白い。

中性的と言ってもオネエっぽいとかではなく、性を超越したというか、天使的な、無性的な歌声である。
それでいて、色気があり、感情が篭っている。
不思議な歌声と言うしかない。


波乱万丈の人生を送った人で、最後は悲惨だった。
とにかくルックスがいい人で、トランペッターとしてスターダムを駆け上がり、そしてヴォーカル・アルバムを出して人気の絶頂に立った時は、ジャズ界のジェームス・ディーンと言われたそうだ。

父親もミュージシャンだったが、子供の頃のチェットの歌を「お前の歌は女の子みたいだなあ」とはやして、それで唄うのをやめて楽器に転向したらしい。
最初はトロンボーンをやっていたが、トランペットに転向して人気を得て、それからあいかわらず中性的な歌声で堂々とアルバムを出し、大ヒットを飛ばすところがカッコイイ。

ロックにファンク、と時代の先端を行ったマイルスと違って、チェットはスタンダードの、それも分かりやすい歌を、ほとんどフェイクも、アドリブも入れないで歌っている。
とことん自然な歌いぶりで、まるで、今の気持ちをそのまま歌っているような、その歌がもともとそう歌ってもらいたかったような歌声である。
いまさらこんな有名中の有名の人にハマるのも恥ずかしいし、ブログなんかで人に紹介するのは恥ずかしいの二乗だが、ぜひ聴いてみてクダサイ。



【第1142回】【書評】カズオ・イシグロ『私を離さないで』

去年の10月半ば、日系イギリス人のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞したということが話題になった。

Kazuo Ishiguro in 2017 03

早川書房は「特需」に湧いたそうだが、そうそう刷っていなかったので、どこの本屋さんでも売り切れていた、と話題になった。
電子書籍がないのか……? と思って、楽天koboを見ると、ある。
電子書籍はファイルをサーバーからコピーしてくるだけなので、売り切れるということが絶対にない。
絶版もまずない。
(ストアーが閉店したりして読めなくなってしまうことはまれにある。)
なのに、誰も買わないのである。
電子書籍ってマイナーなんだなあ~と思った。

それで、一番ポップそうな『私を離さないで』を買って読んだ。
具合が悪いときにベッドで読み始めたのだが、出だしが読みづらくて一回挫折した。
いかにヤワな本しか読んでないか、である。

通勤電車で読み始めたら、調子が出てきて、引きずり込まれた。
そういえば大江健三郎氏も「電車の中は逃げ場がないから難しい本を読むといい」と少年向けの公演で言っていた。

一人称の、おぼつかない口ぶりで、主人公の境遇が、だんだん明らかになってくる。
イシグロ氏の特徴的な手法は「信頼できない語り手」と言って、一人称の語り手が語らない、あるいは、知らないことがある、という特徴があるようだ。

この本には秘密がある。
イシグロ氏じしんは、別にミステリーではないし、ネタバレしてもらってかまわない、と書いているようだが、この秘密が明らかになるタイミングが斬新だなと思った。





以下一部ネタバレ





イシグロ氏がノーベル賞を受賞したとき、ツイッターに「英国人であるイシグロ氏の受賞を、日本の誉れであるかのように喜ぶマスコミは間違っている」という意見が踊った。
いぜん筒井康隆が「文学者は必ずしも国家のために作品を書くものではない。ガルシア・マルケスも大江健三郎も作品は反国家的である。むしろ、現代の文学は反国家的であることから生まれるのではあるまいか」という意味のことをたしか書いていて、それにぼくも共鳴していたので、イシグロ氏の受賞を喜ぶマスコミを揶揄するツイートを書いた。

しかし、イシグロ氏の受賞スピーチおよび記者会見での数々の発言は、日本への思いがあふれたものであった。
長崎での母親の核体験、日本という国について想像を巡らすことが虚構を仕事とするもととなったこと、村上春樹の受賞を願っていたはずの日本人が我がことのように受賞を喜んでくれて感動した、などなど。

『わたしを離さないで』を一通り読んで感動した後に、他の人の感想を読みたいと思って、一通り検索してみると、Dan Kogaiさんが書評を書かれていて、作品の筋立てに根本的な疑問を呈されていたので、あらためて本を読み返し、自分なりに考えた。

404 Blog Not Found:書評 - Never Let Me Go

Never Let Me Goというのは、作品の中で掛けられる架空のレコードの題名である。
意味としては「恋人よ、私を離さないでくれ(自分を愛し続けてくれ)」という意味にも取れるが、この作品を読むと「ご主人様、自分を逃さないで下さい(自分が脱走するのを阻止して下さい)」という意味にも取れる。
そして「私を殺さないでくれ(私の命を取らないでくれ)」とも感じる。

文学作品を、すぐに社会批判に結びつけるのも愚かなことだが、ぼくはこの作品に出て来る不幸な子供たちを、どうしようもなく今の日本人に結び付けざるを得なかった。
不幸な状況にいて、それを嘆きながら、しかし逃げはしない、自分の環境を変えたり、物理的に外国に移住したりしない民たち、そして、最終的には支配者は自分のことを良くしてくれる、大勢の集団を良くしてくれはしなくても、自分だけは(なぜか)いい目を見せてくれるのではないか、という、淡い希望を持っている民たちのことを考えたのである。

しかし、それは、よく知らないが、イギリスの下層階級にも言えることらしい。『わたしを離さないで』は、どうしようもなくイギリスの階級社会についての批判とも読める。
イギリスの虐げられた民たちも、逃げない。
どういうわけか、逃げないで、自分たちだけは、なぜか、いい目を見られるのではないか、と思っている。

イシグロ氏は5歳から母の国日本を離れて、イギリスに住んで、根っからのイギリス人に育ったと言われているが、しかし見た目は日本人であり、イギリス社会の中で、有形無形の差別を受けたに違いない。
そしてその文学の中にも、被差別者としての体験が織り込まれている。

イシグロ氏はやはり平和賞を受賞した、日本人を中心とした反核団体ICANのことも褒め称えている。
彼が受賞したことを、日本人として喜び、感謝したい。



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